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同窓生インタビュー

NIC Interview 2007 SUMMER in U.S.A. 厳しさの先に、夢がある、海外進学
鬼山 友美さん NIC第16期生 新潟県立柏崎高校出身
ネバダ州立大学リノ校コミュニケーション学部(副専攻:教育学科)(07年8月卒業)
University of Nevada, Reno BA in Communication Studies & Minor in Education


「はじめの一歩」

新潟の公立中学校で英語の先生になることが高校時代からの夢だという友美さんは、この夏、渡米後3年で卒業を迎える。「卒業後は、アメリカで働きながら、日本の大学の教職課程を通信教育でとる予定です。」

リノ校では1年目から教育実習ができる。ネバダ州の規定により、留学生は教員免状を得ることはできないが、それまでの勉強はアメリカ人学生と同じプロセスを踏める。

「1年目は、公立小学校の学童保育の仕事をして、2年目は中学校のESL(移民の子どもに英語を教えるクラス)で算数を教えて、3年目は8年生(日本でいう中学2年生)に日本語を教えていました。特に3年目は、レッスンプランもすべて自分で考えて最初から最後まで任せてもらったんです。」

先学期は、障害児教育のクラスをとった。「障害者の生活を体験する目的で、車椅子で生活する日を設けるんです。車椅子に乗って、そこから自分の車にのって、自分で車椅子を後部座席に入れて、スーパーに買い物に行って。。。 そうやって自分が体験したことから障害者と健常者がどのように共存していくかを、教育の中でどう生徒に教えるかを学びました。」

教育実習がきっかけで、ボランティアもやっているという。「小学校のESLには、スペインや中国、トルコなどからの移民の子供達がいるので、彼らに英語を教えたりしています。」

一方で、コミュニケーション学科の授業は、グループワークがとても多く、プレゼンテーションも学期に5〜6回あるのが普通だったという。「とにかくしゃべらないと成績がとれない。必然的に行動的になっていきます(笑)。」頑張りが認められ、昨年は、留学生用奨学金 Grant in Aid 2000ドルをもらうこともできた。

NIC在学中も学校事務局でアルバイトをしたり、学生会の委員も務めた友美さんは、リノ校のJSAN(日本人学生会)の会長も2年間務め、同時に大学のTutoring Centerでのアルバイトも週12〜15時間やっていた。「苦労とか挫折もたくさんありましたけど、終わってみると、楽しかったことしか覚えていないんです。誰でも同じだと思いますが。。。」

高校3年生の夏に、NICを第一希望にした。「NICを選んだ理由はいくつもありましたが、その中の1つに現状から逃げ出したいというものもありました。幸せじゃなかったわけではないけれど満足していなかった高校生活。友達や学校生活、進路のことで悩んでいた時期と部活の引退時期が重なり、学校に行きたくない、早く卒業したいと毎日のように思っていました。」

みんなから離れられる。だから選んだ留学という道。「私は『逃げる留学もあり』だと思います。逃げるという言い方は聞こえが悪いですが、考え方を変えれば逃げた先は新しいチャレンジの始まりの場です。そこで頑張れたり、前に進むことが出来れば、たとえ最初の理由がなんであれ人は必ず成長できるんだろうなぁ、と卒業を迎える今になってすごく感じています。」

しかし高校時代、母親は大反対だった。「無事にNICの入学式を迎えたのに母親は『今だったらやめてもいいよ。』って。1年後の修了式でやっと『ここまでやったんだから、最後までやりなさい』と言ってくれた。」

高校のときは、「人がしないから自分もしない」ことを選び、とても後悔したという。同じ過ちを犯したくない、その思いでNICを選んだ友美さんは、進路に悩む高校生へのメッセージとしてこう締めくくった。
「最初の一歩を踏み出せるかどうか。人がやらないことをやれるかどうか。一歩踏み出した先には必ずそれを支えてくれる人、サポートしてくれる人がいます。だから、勇気を出して『はじめの一歩』を踏み出してください。」


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