先輩からのメッセージ

子どもが好き。その思いを確かめられたのが留学最大の収穫!

PROFILE

野上葵さん

NIC 第12期生 私立國學院大学久我山高校出身
カリフォルニア州立サンタモニカカレッジ幼児教育学科
小学館ホームパル勤務/英語教師

中学時代は、英語の先生が大好きだったので、そこから英語も好きになっていきました。好きなのでがんばって勉強する。だから成績も伸びる。勉強していて楽しかったですね。その先生はグループワークをさせたり、お互いに会話をさせてみたり、外人講師の方が教えてくださる日もあって、いつも新鮮な気持ちで勉強できました。そのころは母親がベビーシッターをしていたこともあって、私も小さい子どもと接する機会が多く、保育士という仕事もいいなと思っていました。

高2のころに家族でアメリカに旅行したときのことです。その当時も、自分なりに英語には自信があったのですが、実際に行ってみたら、みんなが何を言っているのかさっぱりわからないし、何を話せばいいのかもわからない。それでかなりショックを受け、帰るとすぐ英会話学校に通い出しました。

そこが転換期というか“ああ、自分にはこんなに英語力がないんだ”と気づかされてしまった。もっと英語が上手に話せるようになりたいと、強く思うようになったのはそのときからでした。

高3の春ぐらいでしょうか、進路を決める時期がきて、最初は日本の大学の英文科かなと思いましたが、それでは英語が話せるようになるとは限らないし、また、英米文学の面にはまったく興味がなかったので、私の学びたいこととは相当ずれがあるなと感じたんです。もっと私の希望にぴったりくる道はないものかと、いろいろなガイドブックを見ていたら、そこにNICが載っていて、高3の夏期講習に参加することになりました。それがすごく楽しかったのと、親も、私が英語に興味を持っているということはわかっていて、留学にはまったく反対していなかったので、結構すんなりと決まりましたね。

NIC時代は、ひたすら楽しく、ひたすら大変でした。まず楽しかったのは授業そのものもそうでしたし、それ以外では友達と遊ぶ時間が増えたこともありました。高校時代は授業が終わったら家に帰るという生活でしたが、NICでは授業が終わってから友達とご飯を食べたりとか、生活習慣もずいぶん変わりました。

大変だったのはやはり勉強です。高校の授業や受験勉強は、どこか強制されているというか、動機があやふやでしたから、いまでは頭の片隅にも残っていません。その点、NICでは、いま勉強しないと留学したとき、絶対に苦しくなるという現実が待っているので、かなりがんばりました。アカデミック(一般教養課程)に入ると、いっそう難しくなって、友達と一緒に徹夜で勉強したりもして。なかでもサイエンスのクラスは辛かった。もともと理科は苦手だったうえに、細胞がどうのこうのと英語で言われてもさっぱりわけがわかりません。学ぶ内容に英語力がともなっていなかったので、参考書と見比べながら必死になって調べたりしていましたね。いまならそんなに大したことではないと思うのですが。“今日の授業もまた全然わからなかったゾ、このままだとまずい!”という危機感で勉強していましたね(笑)。ここでやらないと、どんどん遅れて、どんどんダメになるという気持ちだけが、私をつき動かしていたんです。ある意味、アメリカで経験するはずの厳しさを予行演習したかたちですね。

私は英語が話せるようになることが第一の目標でしたから、アメリカで何を専攻するか、その選択では非常に悩みました。で1年勉強している間に何か見つかるだろうと、甘い期待を抱いていたのですが結局見つからず。メジャーが決められない状態なら、4年制に行くよりもカレッジからはじめたほうがいいとカウンセラーからアドバイスいただきました。そういうことなら、気候もよさそうだし、街の名前の響きもいいな、というその程度の考えでサンタモニカを選びました。でも結果的には、サンタモニカ・カレッジは、かなりレベルが高い学校だったので、この選択は正解だったと思っています。

サンタモニカ・カレッジのカリキュラムでは分野ごとに履修しなければいけない科目があって、社会科学の分野からは幼児専門の心理学をとりました。子どもが好きなことは昔と変わっていませんでしたし、授業を受けてみたら、やはり興味のある分野だけにおもしろかったんですね。そこで、ようやくこれが自分のやりたかったことなのかなと思い、ほかにもいくつか履修していくうちに“うん、やっぱり私の学びたかったことはこれだ”と思い、専攻を幼児教育に決めたんです。

0歳児からティーンエージャーまでの発達に関する広範な知識の習得からはじまり、ある程度理解が深まると、徐々に内容が実践的になっていきました。たとえば音楽のクラスでは歌や踊りを習い、ストーリーテリング(Story Telling)のクラスでは、本の選び方や読み聞かせの方法を学ぶ。指人形を作るクラスもありました。そうやって幼児教育の現場で、子どもと接するときの基本技能を身につけていきました。カリキュラム全体が、そのようなステップを経ていくように組み立てられていて、最後には2年間学んだことの総仕上げとしての実習が待っていました。私は週に3日、3時間ずつ現地の保育園でお世話になりました。実習に行くことによって、それまで以上にフィールドの奥の深さを知り、子どもに接するときの考え方が一段と深まった気がします。極端な話ですけれど、教育が与える影響について何も知らなければ、子どもと接するときも何にも気にせずにできてしまいますよね。けれど、大人の言葉や態度が、子どもたちにどんな影響を与えるか、それを勉強してからは、何をするにも非常に神経を使うようになりました。

たとえば子どもに話しかけるときに「Don’t~」のような否定語を使ってはいけないというのもそのひとつです。机の上にあるものを触らないでほしいときに、「Don’t touch(触らないで)」と言うのではなく、「その机から手を離しておいて」とポジティブに表現するんですね。子どもの行動を否定しないで、どうすればいいかを言ってあげればいいということなのですが、英語が母国語でない私にとっては「Don’t」を使わないで話すことが本当に難しかったですね。また、人種的な先入観を植えつけないように、白人の人形を置くなら黒人の人形も置くとか、本を選ぶときも、白人の子と黒人の子が仲良く遊んでいるような絵本を選んだり、という配慮も大切なことでした。そういう視点は、日本ではなかなか経験できないものだったと思います。

クラスメイトの90%は、現役の幼稚園や小学校の先生として実際に仕事をしながら学んでいる人でした。そういう方たちは自分の仕事のほかに、実習を受けなければいけないので、その忙しさといったら相当なものだったに違いありません。私は学生のみですから、そういう方に比べれば、ずっと楽だったはずなのですが。それまでに学んできた理論を踏まえて、子どもたちとのアクティビティーを考え、それを実践して、結果をレポートに仕上げる。実習期間中は、毎週やることが山積みでしたね。授業では実習に則した内容に変化してきて「昨日こんなことがあったんだけど、こういうときはどうすればいいのかな」と質問しあったり、経験豊富な方たちの意見を聞くこともできて、とても勉強になりました。

現場での出来事は、すべて生きた教材です。自分自身の人間形成という意味でも、学ぶべきこと、教えられることがたくさんありました。「葵は日本から来ていて、英語がみんなよりも上手じゃないから」と、逆に子どもたちから助けられたこともありました。日本に帰るときには、子どもたちがすごく寂しがってくれて、私も離れるのは辛かったけれど、そういういい関係を結ぶことができた、そのことが何より一番の収穫だったのではないでしょうか。実際に子どもたちに教えるときのティーチングスキルだけではなくて、それ以上のものをたくさん学んでくることができました。

卒業後、アメリカに残るかどうかで迷いましたが、アメリカで就職するとしても、プラクティカルトレーニングの期間以降に働ける保証はなく、先が見えない部分があり、また、留学する前は“日本はちっぽけな国だ”なんて、生意気に思っていましたが、アメリカで生活するうちに、逆に日本のよいところが見えてきたこともありました。それなら日本で教育の実践経験を積んだほうが将来のためにもいいだろうと、帰国することにしました。日本に帰ってきて、子どもの英会話教師一本にしぼって就職活動をはじめました。

いまの職場である小学館プロダクションに出会うことができたのは、ラッキーだったと思います。面接でも、とてもアットホームで明るい感じがして、面接官の方も感じがいい方ばかりでしたし。「ここ、いい会社ですよね」と受験者同士も仲よくなってしまうような、そんな雰囲気がすごく好きになりました。自分が好きだなと思える会社に採用されたのは、本当に幸せなことだと思っています。私がいまいる小学館プロダクションの中にある小学館ホームパルでは、家庭教師の事業部から、ベビーシッターを斡旋している事業部、シニア向けのコンピュータ教室を展開している事業部もあり、もちろん出版やそれからキャラクターを扱っている事業部など、本当にさまざまな形で事業を展開しています。そのどれに関しても教育という柱があり、その部分に関してはエキスパートな会社だと思います。パンフレットひとつをとってみても、私がカレッジで学んできたことと共通する部分がたくさんありますし、自分のいままでの知識と経験を存分に生かせる職場だと感じています。私は常勤講師なので、週に4日スクールで子供たちに教えて、1日は会社で授業のプランニングを行うというのが、基本的な流れになっています。

いまは実際にいろいろな先生の授業を見学させていただいています。教え方を拝見しては“この先生のこういうところはいいな”と思うとそれを取り入れ、あるいは反対にこの先生のやり方よりも、こういう方法がいいかもしれないなと考えたり、さまざまなパターンを吸収しているところです。そうするうちにだんだん自分が理想としていたものが明確になってきて。私なりの教え方というか、こんなふうにアプローチしようというものが固まってきました。まもなく退職される先生から引き継ぐクラスもあり、そちらの教室では一緒に授業もはじめています。やはり前任の先生が築いてこられたものがありますから、それをアレンジしながら、どのように自分流のやり方に持っていこうかなと、もう本当に夢は膨らむばかりというか、いろいろ考えているところです。

会社としての対象年齢は、2歳から高3(高校生はネイティブの先生が受け持つので私が教えることはありません)までと幅広いのですが、私が今教えているのは小学生です。毎日、授業のプランニングや教材作りに追われています。子供たちもだんだん私のペースに乗ってきたので、このままいい方向へ進めばと思っています。会社からは「これからどんどん任せるから」と言われているので、いずれは幼児も中学生も担当することになると思います。友人に聞くと、仕事が辛いとか、もう嫌だとか、そういう話が多いのですが、私はまだ一度もそう感じたことがありません。やっぱり大変ではありますが、本当に楽しくてしょうがないです。こんなに楽しい仕事でいいのだろうかと思うほどで(笑)。ここでしっかり経験を積んで、将来は、自分で子ども向けの英会話教室を開きたいと思っています。もちろんずっと先の話ですが。

留学って本当に飛び込んでみなければわからないことがたくさんあります。私の場合でいうと、留学前は日本に対して否定的な感情しか持っていなかったのに、アメリカで暮らすことで、あらためて日本のよいところを見つめ直すきっかけにもなりました。そういうものの見方、考え方にも、とても大きな影響があるということ。それから、幼児教育という、自分のやりたいことを見つけられたことは、幸せだったとも思っています。それができたのは、やはり思い切って留学したからなんですね。後悔しないように、本当に好きなことを選べるように、いまの自分を試すつもりで挑戦してみると、きっと何かがつかめると思います。がんばってください。