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同窓生インタビュー

<2003年>
宇敷香子さん NIC第5期生 東京都・私立文化女子大学附属杉並高校出身
カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経営学部国際経営学科卒
SAPジャパン株式会社勤務

自分の行動に責任をとる。
当然のようですが日本にいては身につかなかったと思います。


高校時代、2度ホームステイを経験しました。1年生の時はニュージーランドでしたが、英語が全然話せないような状態で、そこにポンと置かれてしまって。そのときのホームステイ先は、学校からとても遠い場所にあったんです。友人や一緒に行った人たちは、学校から歩いて10分くらいの家にステイしていましたが、私の場合は車でないと行けない距離で。それで、2日目くらいまではホストファミリーの人が送ってくれたのですが、毎日頼むわけにもいかず、3日目からはバスで行くことにしました。行き方を事細かく教わったので、行きはOKでしたが、帰りに迷って間違ったところで降りてしまいました。

見渡すと景色が全然違う。しかもどんどん日が落ちていく。もう途方に暮れてしまって。まわりには家も建物もなく、かすかにはるか遠く光が見えたので、歩いて行くと、そこは薬局でした。すがるような気持ちで持っていた「英会話ブック」を見せ、“私は迷いました”と伝えると、何だかいろいろ親切に言ってくれているのですが、話していることが全然わからない。そのとき身をもって“英語が話せないというのは、とても不便なこと”だと思いました。行く前は結構甘く見ていたんです。“まあ、ボディーランゲージとかで何とかなるだろう”なんて。でも全然何とかならなかったので(笑)。それで日本に戻ってすぐ英会話学校に通いました。

留学に積極的だったのは父です。これからの時代は英語ができないと社会人として使い物にならなくなるから、英語を勉強しほうがいい、という考えでした。だから私の場合は、むしろ父にすすめられて“ではよろしくお願いします”という感じで(笑)、留学を決めました。それまでの高校時代は、特に将来の目標もなく、仮に日本の大学に行くにしても、学部選考などは漠然としていたんです。それも留学を決意した理由のひとつですね。中学からずっと同じ私立の学校で、そのままエスカレーターに乗って大学に行くのも選択のひとつではありました。友人もたくさんいたし、居心地はいいけれど、でも自分のやりたいこともわからない状態で、流れに任せていいのかなという疑問があったんです。実を言うと、高校時代はあまり楽しい3年間ではありませんでした。反抗期だったんですかね(笑)。友人関係はすごく充実していましたが、学校での生活や勉強のこと、先生との関係とか、それがあまり好きじゃなかったんです。

やはり中学・高校では、何をするにしても、いつも強制されているという感じがあったのだと思います。その点、NICでは、はじめて自分で目標を持って勉強をしました。「1年後に留学をする、その準備をしている」ということが自分の中ではっきりしていたし、まわりの人も同じ目標を持っていたので、とてもやりやすかったですね。大変だったと思うのはライティングのクラスで、リサーチペーパーを書くことでしょうか。でもアメリカの大学では、リサーチペーパーを書くことが日常なので、その経験はとても役に立ちましたし、英語中心の授業はそれなりに大変でしたが、自主的にやっていることなので、楽しかったという印象が強いですね。

最初からいきなり4年制大学に行くと、勉強も大変だということで、ちょっと様子見というか、まず2年制大学で勉強して、うまくいけばそのまま編入することも可能だから、というカウンセリングを受けてビュートカレッジを選びました。ビュートカレッジでは観光学を学びました。どちらかと言うとジョブトレーニングのような、とても実践的な内容でした。クラスメートとプロジェクトチームを組み、1つの国をテーマに、観光エリアはどこで、注意しなければいけないことや、どういう交通手段を使うかなどを細かく調べ、ツアー計画を立てる。そしてプレゼンテーション。そういう流れです。2年間で、一応準学士号を取得しましたが、そこで卒業してすぐ旅行会社で働きたいかというと、自分のなかにまだ疑問があって、結局その答えはノーでした。観光学は、結果的にはあまり好きではなかったんですが、例えばホテルの経営学などには興味があったので、もう少し今度はビジネスを勉強してみたいと思いました。

そこで、もう1年ビュートカレッジに在籍して、4年制大学に移籍するための単位を取ることにしました。ビジネスのクラスは観光学ほど実践的ではなく、もっとベーシックなマーケティング理論やマクロとミクロの経済学、簿記の基礎など、どちらかといえば理論が中心のクラスでした。ところが勉強しはじめると、これが観光学よりもとてもおもしろくて。それまで、私は社会を動かしている経済というものに対してあまりにも無意識だったんですね。世の中がどう動いているのか、まったく知らなかったんです。でも、ビジネスを学び始めてからは、物を買うということはどういう意味を持つのか、ある家庭の消費行動がどんな結果を生むか、そういう個人の小さな選択の集積が、世界にどんな影響として表れるかというつながりが、見えてきた。それはとても新鮮な発見でした。

留学して、自分のなかで何が一番変わったかといえば、自分の行動に対して責任をとるという、人間としての基本的な姿勢ができたというか、つねに結果を考えて行動するようになったということです。ひとことで言えば自立した。やはりそれが一番大きな変化ですね。誰にも頼らずに生きていけるという自信が身につきました。両親からも英語や知識というより、人間的に自立したというか、そこがとても変わったと言われました。いまの会社で仕事をしていてもそれを強く感じます。ここでは1年目から自分の行動に対して、すべて責任を持たなければいけません。顧客はすべてビッグネームの国際的な企業ばかりですから、仮にそこでシステムが止まってしまうようなことがあれば、社会問題になりかねない。ですから、自分の一言一句、顧客企業に説明する一言一句が、世界のビジネスに多大な影響を及ぼしているという責任が求められているんです。その点、日本では、企業である程度経験を積んできた人であっても、自分が何か間違いを犯しても、誰かがカバーしてくれるだろうという意識があるようで、自分の行動に対する責任がなかなか取れない印象があるんですね。本来の意味で責任を取るということは、一人で未知の世界に置かれて何もかもすべて自分でやらなければいけない、という経験をしないと、なかなか身につかないものなのかもしれません。普段はあまり意識していませんが、まわりの人を見ていて、ときどきそう感じることがあります。

就職について具体的に行動を起こしたのは3年生のときでした。それまでは、まだ就職についてあまり意識はしていなかった。というか、私の中では自分が学校を卒業して働くということが、まだリアルに想像できていませんでした。とりあえず勉強は忙しいし、やることはいっぱいありましたから。結局、学ぶことが楽しかったんでしょう。その10月にボストンで留学生を対象にしたジョブフェアが開かれ、そこに友人と一緒に参加して、はじめて現実の厳しさに直面しました。“これは真剣に就職活動しないとまずいな”と思い、家の事情もあって日本で就職することを決め、冬休みに1ヵ月ほど日本に帰って、そこでジョブフェアで出会った企業の試験をいくつか受けました。その1つが、今勤めているSAPジャパン、というわけです。

SAPは、ドイツ本社のソフトウェアメーカーです。メインのソフトはERPパッケージというもので、それ以外にもSCMやCRMといった企業の社内システムを扱っています。例えば、メーカー系の企業だとすると、原材料を購入し、生産ラインを動かして製造し、在庫管理、流通、販売、財務という流れがありますよね。それを一貫したシステム上で行うといったソフトウェアです。私は、その中の会計の部分のサポートを担当していますが、そのほかにカスタマーコンサルタントやサポートなどさまざまなスタッフがいます。いまは、たまたま出張でドイツに来ていますが、これも基本的には日本でそのソフトウェアを使っている顧客企業をサポートするためです。というのは夜間、日本のサポートが終了している時間でも、ドイツでなら時差を利用して24時間日本語サポートができますから。あとは本社の開発者からシステムについてのレクチャーを受けたりですね。

日本のユーザーというのは、ちょっと特殊で、24時間、英語以外でサポートしているのも日本だけです。SAPというのはグローバルカンパニーですが、サポートはドイツとアメリカとシンガポールを拠点にしています。通常は、ドイツの営業時間が終了したらアメリカが対応し、アメリカが終了したらシンガポールが対応し、シンガポールが終了したらドイツが対応するという、時差を利用した24時間サポートを実現しています。でも、それはすべて英語によるサポートですので、日本のユーザーに対しては特別に日本語によるサポートを提供しなければならないんです。日本人は英語を嫌う傾向があって、日本だけは日本語で24時間をサポートする、ということになっています。いま日本人スタッフは、基本的にはドイツに3人、アメリカに1人という配置ですね。少ないように思われますが、いまのところは、大丈夫。というのは、ドイツには開発スタッフがいるので、自分で対応し切れないような内容であれば、開発の人にヘルプをお願いすることが可能だからです。 ドイツでのコミュニケーションは、もっぱら英語ですよ。日本にいるときも、ドイツ人開発者や、海外のスタッフとやり取りをするのは英語です。ドイツ人といえども、きちんと英語がしゃべれないといけない。それは日常生活でも同じことだと思いますが、例えば、相当な観光地でも海外で日本語の表示はほとんど期待できないでしょう。スペインで美術館に行ったとして、日本語で説明を見るというのは絶対にあり得ないけれど、英語なら必ず何か書いてありますね。世界中どこの国を旅行していても、いざというときは英語です。困ったことがあっても、英語であれば理解できる人が必ずいます。かつて父が言っていたように、英語がスタンダードという状況は、もはや変わることはないでしょう。

いま私は顧客をサポートすることが主要な業務ですが、将来的には技術的な開発を行うとか、あとは業務を中心に行うのであれば、コンサルタントを考えています。まだ、どちらを選ぶか決めてはいません。

留学をしても、あまり現地に馴染めないで日本人ばかりでつるんで、結局、何もやってないという人を、たくさん見てきました。だからそうならないように気をつけてください。でも、留学というと、誰もが口をそろえて『目的がない留学は無意味』というようなことを言いますが、個人的には目的を探しに留学をするのもありだと思っています。実際、私は目的を持っていなかったけれど、ただ、そこでまわりに流されてしまうと結局何も得られないまま、留学生活が終わってしまうとは思います。最低限やらなければいけないことは自分で理解して、それさえ自覚しておけば留学は成功します。大丈夫。頑張ってください。


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