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同窓生インタビュー

<2001年>
越前圭介さん NIC第9期生 埼玉県・県立伊那学園総合高校出身
ネバダ州立大学ラスベガス校ホテル経営学部ホテル経営学科卒
パークハイアット東京/セールス&マーケティング部勤務


ときには人の意見にも素直に耳を傾ける。
そういう柔軟な姿勢って大事だなあ、と思います。

出身の高校は、少し変わっていて自由に時間割が組めることに特徴がありました。『自分の道が決まっているなら、自分の意志で科目をとりなさい』という雰囲気で、自由の代わりに自己責任もあるところが、高校らしくないというか。もしかするとあの高校を選んだ時点で、自分のやりたいことを選択したいという意識が、少しずつ芽生えていたのかもしれません。

留学しようと具体的に思ったのは、高3になって進路を決定するときでした。実は中学校のころに、父親から、遠い親戚の叔母か誰かがシカゴかどこかにいると聞いたことがあったんです。そのとき冗談まじりで「将来、留学でもしてきたら?」とも言っていたので“留学か、かっこいいなあ”と。ですから、そういうイメージというのは、もともと少しあって。高校での進路相談のときも、普通に受験して大学に入ってというより(まあ、もちろんそれはそれで楽しかったとは思いますが)、自分の好きなものを本当に真剣に学べるようなところがいいなと考えました。そういう気持ちで海外の大学のことを調べるものですから、強く憧れるようになるのは当然ですよね。海外留学を決めたときも、両親は反対するどころか行ってきなよという感じでしたから、それは助かりました。

ただ自分は英語がすごく得意なわけでもないし、海外に住んだ経験もないので、留学する前に土台をつくることが必要だなと感じていました。そこでNICに進むことにしたんです。とはいえ入学したてのころは苦心しました。いや、苦心したけれど、楽しかったのかな。留学という当時の自分にとっては高いハードルを越えるために“もっと教えてくれ、どんどん吸収させてくれ”という気持ちでしたから。100%先生を信じていたし、“これを勉強すればいいんだな”と、リスニング、スピーキングから始まって、文法、長文、ライティング、すべてに関してしつこく質問したり、学ぶ姿勢がそれまでとはまったく違いました。もちろん宿題の量も難易度も高かったけれど、それを1つずつこなすことが英語の自信につながっていったので、学ぶことの楽しさでいっぱいでしたね。

NICで知り合った仲間と、お互いの目標を語り合っているときも、何とも言えず楽しかったですね。自分ももっとがんばろうと思ったり、自分の考え方が変わった部分もありました。ラスベガス校に行くことになったきっかけも、そうした友人の影響が少なからずあります。その友人は、はじめから観光関係をめざしていたので、ホテル関係に強くて有名なラスベガス校に行きたいと言っていたんです。自分としては映画を希望しつつ、観光に携わる仕事も視野にあったので、その話に興味を持ちはじめました。それはやはりNICで、友人と話していたから生まれた道だなと思いますね。あのときそういう話をしていなかったら、いまの自分はいないと思います。

NICを修了後、2年制のディアブロバレー・カレッジに進みました。その理由は映画とホテル、両方の学科を持っていたからでした。ここで両方のクラスをとってみて、より興味を魅かれるほうに進もうと考えたんです。学びながら方向転換できるのも留学したからこそで、自分の興味と適性にあわせて、いつでも志望を変えられるアメリカの教育システムはメリットが大きかったですね。

映画の授業は、アメリカの映画の歴史を学ぶクラスでした。まず映画を見てレポートを書くわけですが、映画を見る前に先生が時代背景や技術的な特徴などを説明するんです。ただしそこで、アメリカの時代とか風潮を理解していないと、その映画のことも完璧には理解できません。私は、もうスタートの時点で出遅れているというか、ほかの人たちが感銘していることに関して、自分は「えっ、それって何なの?」というような次元だったので。それでも授業はどんどん進んでいきますから“これはちょっと難しいかな”と思ったのが正直なところです。

運がよかったのは、ホームステイ先の老夫婦が本当にいい方だったことです。私の英語のサポートはもちろん、普段の生活でわからないことがあれば全部ヘルプをしてくださったので、それはすごく助かりました。だから、勉強に集中できたというのもありますね。その家は、カリフォルニアの小高い丘の上にあって。道には木が生い茂り、裏に回るとバルコニーがあって、日曜日の朝はそこで朝食をとったり。裏からは遠くの山が見え、夜にそっと見ているとシカが上がってきたり。もう本当に絵本に出てくるような美しい家でした。いまでもそのイメージは強く残っていて、いつかはまたカリフォルニアに戻りたいなと思うことがあります。留学という慣れない生活の中で、心が休まる時間が過ごせたことは、本当にいくら感謝しても足りないくらいですね。

すごく仲のいいご夫婦で、家庭はいつも温かでした。3人いるお子さんは、もう独立して、それぞれに自分の生活をしていたので、寂しさもあったのでしょう。まるで家族のように接してくださいました。昔話もいっぱい話してくれて、背景にあるアメリカの歴史と文化を知ることもできました。ヨーロッパからニューヨークに移民して、西海岸まで移動してきたんだという話。昔はバーで歌っていた歌手だったという話。そういう歴史や、職を転々としていて1つの職にとどまらないアメリカ人の性質というのも、よく理解できました。

ディアブロバレーで1年間学んだ後、やはり映画よりホテルの専門的な授業を学びたいと思い、ラスベガス校に編入することにしました。ラスベガスで一番印象に残っているのは学生寮です。そこで、だいぶ英語が上達しましたから。なぜかというと、まわりにはアメリカ人しかいなかったからです。英語で話さなければ何も伝わらないし、黙っていると自分が損をするばかりなので、自分の考えをきちんと表現するスタイルが自然と身につきました。会話の能力と友人をつくるなら、学生寮。これ、おすすめです。
サイパンのPICというホテルで6か月間インターンしました。
本当に楽しかったです。

ラスベガスでは4年制だったこともあり、やはり授業のレベルは少し高くなりましたね。重要だと思ったのは、授業でつまづいた部分をそのままにしないこと。そのために、直接その先生に話を聞くようにしました。もしも“あ、これはついていけてないかも”と思ったら、すぐ先生と話してみる。それから同じクラスの学生と情報を交換して、あの先生のほうがラクそうだという話を聞いたらそっちに移ってみるとか、そういう臨機応変な態度は意外と重要です。もちろん勉強が大変なのは当たり前のことで、本も何冊も読まなければいけないし、レポートもいっぱい出る。でもそれをこなす上では、自分をマネージすることも必要なんです。たとえ難しくても優先して学ぶ科目と、やさしい科目をわけて考えるとか、そうしないとやっていけない部分がありました。

ホテル経営学科の学生には普通の授業と研修と、それから1,000時間以上のwork experienceがありました。学校から許可のおりた場所で働くことで単位が認定されるのですが、私はMGMというラスベガスの大きなホテルで短期の仕事に応募しました。そこでは日本人のVIPのケアや通訳の仕事、アレンジの仕事などをして、ちょっとホテルの裏側も見たり“ラスベガスのホテルはこんな感じなんだ”と少しイメージが湧きました。work experienceで一番よかったのは、サイパンのPICというホテルでのインターンシップです。6ヵ月間PICでインターンができるというプログラムで、バケーションがてらに研修もでき、しかも1、2ヵ月程度の研修が終わったら、残りの時間はwork experienceにあてられたので、“ああ、これはいい”と思って。一石二鳥というか、インターンシップも1,000時間もクリアできるので、即決でした。PICではホテルのさまざまな仕事を経験しました。研修なので、ほとんどのセクションを回らせてくれるんです。お客さまとふれあう部分も多く、楽しい気分でいるお客さまと一緒に仕事ができるのは、本当に楽しかったですね。サイパンでの6か月を終えたとき“やはりホテルはすごくおもしろいし楽しいな”と思い、就職先も絶対にホテルにしようと決めました。

日本の目ぼしいホテルに、片っ端から履歴書を送りました。翌年の新入社員は、ほぼ決定しているような時期だったにもかかわらず、返答をくれたホテルがあり、それはほとんど外資系でした。なかでも一番反応が早かったのがパークハイアットでした。まずメールに対するレスポンスが1番早かったですし、帰国したのが週の半ばで翌週の月曜日には面接、その次の日には「採用します」というファックスが来て“え、いいんですか?”という感じでした。

最初はベルアテンダントとして勤務し、まもなく現在のセールス&マーケティング部に異動しました。外資系の会社とやり取りをするのはもちろんですが、やはり日本の企業の慣習にならう部分もあります。ですから、そういうノウハウとかしきたりとか、最初はまったくわかりませんでした。ホテルの知識は学んでいても、事務一般の仕事は素人でしたから、1年目は慣れるまでが大変でしたね。幸いまわりの方が親切に教えてくださったので、ホテルの知識だけではなく、社会勉強にもなりました。学校を卒業するころから身につけたいと思っていた、日本の企業でのビジネス経験を積むことができていると思います。あのままベルアテンダントのポジションにいたとしても、ホテルの内部のことはわかっただろうし、お客さまと接するなかで働く充実感はあったと思いますが、やはりこの部署に移ったことで、よりホテルの仕事の核心に携わっている実感があります。

アメリカで学んだことのなかでも最も大切だと思ったのは、やはり「いかにコミュニケーションするか」です。仕事や勉強の面だけでなく、何をするにしても、人とのコミュニケーションが円滑にできないと、生活そのものが安定して送れなかったので。その思いは就職してから、一段と強くなっています。もちろん、自分の目標に向かって突き進んでいく勢いは大切で、好きなことに夢中になるのも大事ですが、一方で人の意見に耳を傾けるということも同じくらい大切だと思うんです。世の中にはいろいろな人がいますから、そういう一方通行でないコミュニケーションをとりながら、自分の目標を決めていく柔軟性が持てるようになると、人生に広がりが生まれると思うんです。たとえば留学中の例で言うと、アメリカ人とは接するけれど、頑なに『私はこちらでは日本人とは付き合いません』という態度の人がいました。日本人同士なれ合ってしまうよりはマシかと思う気持ちの片隅で“そんなに頑なにならなくてもいいのに”と思って見ていました。心がガチガチになってしまうと、いつかどこかでポキッと折れてしまうこともあると思うので、いろいろなことにフレキシブルに生きていけたらいいのではないかと思っています。

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