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次世代プロジェクト
`07新春NIC HOME COMING PARTY
〜さあ、チェンジメーカーになろう!〜



日時: 2007年1月13日(土) 
14:00受付 14:30スタート


今回より「同窓会」ではなく「HOME COMING PARTY」として生まれ変わったNIC共歩会イベント。
過去最多の参加者を集めて開催されました!

今回で3回目となる村尾さんによる基調講演。

自らをブランド化するためのセルフプロデュースの考え方について熱く語っていただきました。

毎回、長時間にわたる講演ですが、聴衆を飽きさせないテンポのよさと中身の濃さで、大盛況でした。全国各地でも開催されていますので、興味のある方は是非参加されてみてください。

>>http://www.ryumurao.com/



第2部 ★冬のNIC同窓生 プチ講演会 「さあ、チェンジメーカーになろう!」★

就職セミナーで強調された「漠然とした100個のアピールより、自らの具体例を伴った一個のアピール」。
第2部の9名によるプチ講演会は、まさに各自の経験してきた具体例を交えながらのバリエーションに富んだプレゼンテーションが目白押し!3つの部屋に分かれて行われましたが、どの部屋も大盛況でした。
ここでは、そのさわりの部分だけをリポートします。


プレゼンテーター
入江(旧姓・瀧常)里香さん
(1期生)

日本コカ・コーラ株式会社



<育児のち育自、時々仕事〜 前向きに考えよう 〜 >

120周年を迎えたコカコーラで、育児をしながらキャリアウーマンとして活躍する入江さんによるパワフルなプレゼン。

いま、社内システム開発のプロジェクト・マネジャーとして、夜中でも電話が入ってくるような環境で働く入江さん。でも、そんなハードな仕事と育児の両立に大きな力を注いでいる。
もともと子どもはあまり好きではなく、25歳で結婚後も、子どもを産むと海外旅行とか好きに出来なくなると思い、産む気はあまりなかった。入社したコカコーラでも、周りは大卒やMBAばかりで、短大卒は自分ぐらいだったこともあり、仕事に打ち込んでいたという。
でも30歳を超えて、やはり子どものいる人生のほうがいいと思い、生むことを決意。それも、バースコーディネーターの教えに沿って、病院ではなく助産院で産もうと決めた。
そして陣痛が来た。旦那が慌ててタクシーで乗り付けてきて、そのまま助産院に向かったものの、あと5分のところでもう我慢できなくなり、なんとそのままタクシーの中で出産!へその緒がついたままの赤ちゃんを抱え挙げた旦那を見て感動したという。ちなみに、そのときの運転手はそれをネタにテレビに出たというオチつき。。
出産後は、1年間の育児休暇を取ったものの、その後はすぐに復職。むかしは子どもがいるからと早く帰っていた同僚をズルイと思っていたけど、自分がその立場になってみると、その考えが間違っていることに気づいた。
子どもと仕事を天秤にはかけられないけど、子どもは生き物だから優先するのは自然なこと。
いま、入江さんは女性には出産後の復職を薦め、男性には短期間でもいいから育児休暇を取ることを薦めている。
「社会はそう簡単には変らないけれど、自分の周りは変えられるんです。」

中村勝芳さん
(3期生)
静岡県立吉原高校教諭



<聴きねぇ、聴きねぇ、石松の郷の教育~おばあちゃん研究から、絵本製作、そして町おこしへ~>

現場を重視し、生徒と共に何かを作り上げる教育に注力する中村さんによる情熱あふれるプレゼン。


留学中、一度勉強についていけなくなって泣く泣く帰国したという中村さん。でも高卒扱いなので仕事がなかなか見つからず、再度渡米。そこで運命の出会いを果たす。相手は日本の大学から留学してきていた地理学の先生。両方とも野球好きだったため意気投合し、色んな話をするうちに「そんなにスポーツが好きなら、私の研究所でスポーツ地理学でもやってみてはどうか」と薦められ、また「そのためにも、ちゃんと卒業しなさい」と励まされた。その甲斐もあって無事に卒業後、その先生について富山大学、名古屋大学の大学院で学ぶことに。
そうしているうちに、先生になりたいという気持ちが芽生えた。自分のいいところを見つけて、人生の目標を見つけさせてくれた、その先生のようになりたいと思ったという。
そして無事に教員免許を取り、愛知県の森町にある高校に赴任。ポリシーである「教育は現場で起きている」を元に、生徒に地元の一人暮らしの高齢者宅を訪問させて話を聞かせた。そんな活動は「森のおばあちゃん研究会」として話題となり、関わった生徒たちのほとんどが地域社会に貢献する仕事に就きたくなったという。
そのうち卒業が間近に迫ったため、何か森町に貢献しようという話になった。人口2万人のまちであるが、そこには「森の石松」という有名な話が残っていることに着目。町興しのために、これを資源に何かやろうと考えたところ、みんな名前は聞いたことがあるものの、石松がどんなことをした人なのかは誰も知らなかったため、では絵本を作ろうということに。海外でも読んでもらえるようにと英訳もつけた。それがニュースとなり、あれよあれよというまに出版化。その至近の半分は地域の方々が募金でまかなってくれたという。いまでは数千部が売れ、海外からも購入依頼が届くほとに。
そしていま中村さんは別の学校に赴任。そこは「かぐや姫」の地元だという。
「また一から企画書を書いているところですよ(笑)」

中野みどりさん
(5期生)

プレイグランド代表



<地元(川越)で遊ぼう!地元(川越)を遊ぼう!!)>

都市計画の専門家として、また地元にこだわる人間として街づくりに取り組み中野さんによるプレゼン。

留学を考えたときは円高の頃で、海外旅行者数が急増する時代であったため、ツーリズムを学ぼうと思って渡米した中野さん。でも大学2年のとき教授が口にした「アジアの学生は、自分の街を出て遊ぶという傾向があるよね」という言葉が頭の中に引っかかったという。
当初は「どこの国でも当たり前なんじゃない?」と疑問に思ったものの、その後、オーストラリアに留学して、その言葉の意味がわかったという。街の中で色んなイベントがあったりボーッと出来る場所があったりして、週末にどっかに行くという感じではなかったことに衝撃を受けたのである。それが「私は本当にツーリズムがしたいのか?都市計画を学ぼう」と進路を変えるきっかけとなった。
卒業後、日本の都市計画の法律も学ばねばと一念発起し、早稲田大学の夜間コースに進学。「住んでいる人たちが楽しい街づくり」に取り組み始めた。
そんな中野さんの懸念は、日本では「地元」というアイデンティティーを失いつつあるということ。どれだけの人が「自分の街はどんな街か?」と聞かれて、すぐに答えることが出来るのか・・・。
そんな疑問を出発点に、誰もが自信を持っていえる街づくりに向け、まずは自身の地元である川越から取り組んでいる。観光地として、訪問客をたくさん迎え入れている川越ではあるが、最近、映画館がつぶれたという。外に向けて町の魅力をアピールしているのに、地元の自分たちが遊ぶ場所が消えていく・・・。そんな矛盾した現実を変えるため、様々なことに取り組んでいる。
「自分たちは何でココに住んでいるのか?まずはそう問いかけることから始まるんです。」

月岡正義さん
(6期生)

石和生コン株式会社常務取締役



<小さな会社で働くということ>

「小さな会社」を経営する月岡さんによるビジネス・プレゼン。

大学で機械工学を学び、帰国後は社員数数千名の自動車の部品メーカーに就職しあたという月岡さん。設計士として活躍した後、地元・長野の商社に転職。2年間ほど働いた後、現在の会社を企業買収という形で立ち上げた。
社員数20名の小さな会社なので、常務取締役とは言うものの、営業、経理、人事、など何でもやるのが仕事。でも、会社の歯車ではなく原動力となっていることを実感できるので、やりがいがあるという。
もともと最初の大きい会社を辞めるとき、自分がいなくなったら会社は困ると思ったら、代わりがいるのでそうでもなかったという現実に戸惑ったことがある。それと比べると、やっぱり小さい会社で働くことには醍醐味がある。自分がいないと回らないという実感が日々あるからだ。
もちろんデメリットもある。取引相手も小さい会社が多く、お金を回収できないこともあるし、大きいプロジェクトをやろうと思っても、資金力がないのでなかなか出来なかったり・・・。
それでも、それを補って余りあるだけのやりがい。
そして、そこで役に立っている留学経験は、異文化経験というより、やはり人とは違った経験をしてきた自負があること。
「その辺の人には負けないという強さは生かせていますね。」

大友剛さん
(8期生)

ミュージシャン&マジシャン (マジックと演奏で全国の教育福祉施設を巡回中)



<生き方としての進路〜マジックと音楽の活動を通して〜>

あいさつがわりに折りたたんだ紙の中からワインボトルを取り出して始まった大友さんのエンターテイニングなプレゼン。

もともとホテル経営学を学ぼうと留学したものの、ほかにも面白いクラスがたくさんあったので、あまりメジャーを絞らずに様々なクラスを取ったという大友さん。最終的に音楽にはまって、ジャズを中心に学ぶことに・・・。帰国後は北海道のNPOに入り、夜はショー・レストランでピアノのセッションを4年間やっていたという。
でも、もともと「音楽を仕事にはしない」と決めていた。「音楽は、したいときにしたい。仕事にしてしまうと、したくないときにもしなくてはならない。それで苦しむミュージシャンが多いから」というのが理由だった。
でもNPOのフリースクールで音楽をやっていると、そういう一つの視点ではなく、音楽によって人の心を豊かにするという視点も生まれた。それはある日、保育園でショーをやったとき、先生が泣いていたのを見たのがきっかけだった。聞くと、まったく表現をしない子どもが声を出して笑っていたのを初めて見たからだという。大友さんは「自分のやっていることは、エンターテインメントを超えているんじゃないか」という感覚を持った。
また和太鼓のグループと一緒にブラジル公演に行ったとき、あれだけ音楽や踊りが盛んなブラジルの学校には、音楽の授業がないということを知り衝撃を受けた。それはブラジルでは、生活の一部となっていたのである。
音楽やマジックは、言葉や国や宗教を一瞬で超える。そこには、エンターテインメントよりも深いメッセージ性がある。音楽は習うものではなく、感じるもの。
「そんな音楽とマジックで多くの人を喜ばすことが出来れば、社会も少しはよくなっていくんじゃないのかと思うんです。」

兵藤哲史さん
(10期生)

キョードー東京



<コンサートプロモーター:エンタメで社会を動かすお仕事>

海外のイベントを招聘して成功させるまでを請け負うプロモーターとして活躍する兵頭さんによる業界話プレゼン。

もともと映画を学ぶために留学したものの「テレビ・ラジオ学部の方が面白そう」と学科変更したという兵頭さん。帰国後に最初にぶち当たった壁は就職だった。ちょうど就職氷河期で、テレビ局も制作会社も全部ダメ。そして半年かかってようやく入社した編集プロダクションも3ヶ月でやめたという。そこに未来の展望が見えなかったからである。でもそれが無駄だったわけではない。辞めることを相談した社内の人から、「せっかく留学してきたんだったら、こいう会社があるよ」と今の会社を教えてくれたのである。
キョードー東京は、年間600ものコンサートやミュージカル、イベントなどを手がける会社。兵頭さんは海外からミュージカルを招聘する部門に所属し、選定からプロモーションまで一貫して携わっている。「決まったことをやるのではなく、クリエイティブさが要求される仕事」だから、やりがいがあるという。
一見、華やかな世界に見えるが、実際は裏方として大変な仕事である。出演するアーティストが「OOを飲みたい」と言えば、それが日本で発売されていなくても何とかして調達しなければならない。どんなわがままなリクエストにも初めから「無理です」とは絶対に言えない世界。断ったら、その後がないからだ。
そんな大変な仕事でも、誰かが生み出した素晴らしい作品をたくさんの人に提供できることに、やりがいがある。会場の規模は数千人〜数万人。そこでは、お客さんが喜んでくれる姿を直に見ることができる。
「ちょっと手を抜いたら、バレる世界。そこが楽しいんですよ。」

岡田結記恵さん
(11期生)

HASPY INC.代表取締役



<楽しい異色ライフ〜何事も笑顔でこなしてナンボ〜>

アメリカの「オーラ写真」機器メーカーの日本代理店として、昨年は一人で1億円を稼ぎ出した岡田さんによるパワフルなプレゼン。

むかしからとにかく人とは違ったことがしたかったという理由だけで留学を決意したという岡田さん。渡米後は、興味のあるものは何でも学ぶ意気込みでトリプル・メジャーに。建築デザインも学び、校舎デザイン・コンテストではなんと選ばれて、自身のデザインした校舎が建ってしまったという。
でも建築の道に進む気はなく、短大を終えてちょっとハワイに遊びに行ってるときに居酒屋で仕事をオファーされてそのまま日系航空会社に就職。しばらくは楽しかったものの、「人の下で働くのは向いていない!」と気づき、ロミロミ・マッサージの学校へ通うことになった。普通は資格取得には半年以上はかかるものの、短大時代に興味を持って取っていた解剖学の単位のおかげで、あっという間に資格を取得。帰国後、マッサージ・サロン開店のかたわら、「オーラ写真」ビジネスの取り組むと、流行の波に乗り、カリスマ「オーラ美人」と呼ばれるまでになった。
そんな岡田さんがとにかく大事にするのは、自分に自信を持ち、どんどん行動を起こすこと。そして、あまり一つのことにのめり込み過ぎないこと。視野が狭くなると、せっかく降ってきたチャンスを見逃すことになるからだ。
実際、岡田さんにとってこれまでの成功の裏には、「行動を起こしていたら、運が勝手に降ってきた」という感じがあるのである。
「いま目の前にやりたいことがみつからなかったりしても、常に笑っていれば、運が勝手に降ってくるんです。ポジティブなパワーがあるところに、運は引き寄せられるんです。」

阪部昇太さん
(13期生)

株式会社栄光



<Be Strong!! 〜今、教育にアツくなれ!!〜>

栄光におけるただ一人の留学生として、新規事業に取り組む坂部さんよるアツいプレゼン。

もともと両親が教師であることもあり、教育に興味があったという阪部さん。栄光での面接の場で、「何をやりたい?」と聞かれて「独立して学校を作りたい」とぶち上げたところ、すぐに採用された。栄光は、新しいことにチャレンジする人材が欲しかったからだという。
入社後は、希望通り、新規事業に関わる部門に配属。新規事業というのは、10やって1つ成功すればいいぐらいの厳しい世界。そのため、その9つの失敗を乗り越えられる人材として採用されたのだということを実感した。
すでに留学生採用活動にも携わる阪部さんだが、そこでもやはり留学生はタフだと感じるという、また日本の教育業界における新規事業向け人材としての魅力も大きい。「もともと留学生には、日本の教育に見切りをつけて留学した人が多い。ということは、留学生は日本の教育に足りないものが分かっている場合が多いんです。」
それでも仕事は甘くはない。塾の立ち上げのため、学校周辺などでチラシ配りをしていると、露骨に嫌な顔をされることも多々あるという。「自分がやりたいことは、こんなことなのか?」と自問自答する日々もあったが、上司の好きな言葉"Be Strong"に励まされた。新しいことをするには強さが必要。反発が凄いからだ。でも、人にどう見られようが知ったことではない。提供するものに自信があるのなら恐れるものは無いのである。
そう思うためには、自分が何をやりたいのか、どこへ向かいたいのかをしっかりと自覚することが必要。阪部さんにとって、それは「ベクトルの先に笑顔がある」ということ。生徒、保護者、会社、自分、みんなに笑顔がないと仕事ではない。
「楽しいことは誰でもやれる。しんどいときにどれだけやれるか?Be Strongですよ。」

十原啓志郎さん
(14期生)
株式会社千葉ロッテマリーンズ マーケティング



<スポーツビジネス、千葉ロッテマリーンズ編>

アメリカで学んだスポーツマーケティングを昨年から千葉ロッテ・マリーンズで生かして活躍する十原さんのプレゼン。

小さい頃からずっと野球をやっていた十原さん。高校卒業後、ある企業に内定したものの、野球選手がどんどんメジャーに挑戦していたこともあり、留学に興味を持った。
英語を学び、メジャーリーグを見て、できることなら本場のフィールドで野球をしたい。そんな思いで一念発起。英語はまったく出来なかったが、NICの1年間で頑張り、無事に渡米。いろんな経験をしていくうちに、スポーツビジネスに興味を持ち、短大卒業後、現地のプロ・ホッケーチームなどでインターンの機会も得た。
そんな中、「人との出会いを大切に」がポリシーの十原さんは、あるスポーツ関係者が集まるコンフェレンスにロッテから参加してきていた人と出会う。その場では少し話をしただけではあったが、インターンも終え、帰国・就職を考えたとき、相談のメールを送った。そして会って話を聞いてもらえることになったとき、このチャンスを逃すまいと、しっかりと練った企画書を持参したという。「メジャーと日本の違い。それは地域密着、共存共栄の精神です。日本にもアメリカのやり方を取り入れようという企画書でした。」
その意気込みもあって、昨年、ロッテに入社。「ファンサービスではどこにも負けない球団作り」を目指し、子どもや女性、家族向けの企画に注力しているという。そのポイントは、勝ち負けに関わらないサービス。負けても楽しく帰ってもらうことが大事。
その成果はすでに大きく現れているが、ロッテだけが成功してもしょうがない。共存共栄のためには、他球団、そして他のスポーツ業界との意見交換が大切だという。十原さんは、ここでも「人の出会い」を大切にしながら、着実にネットワークを広げながら、意見交換の機会を増やしている。
そうした地道な活動の積み重ねの先にある夢とは何か?
「近い将来、スポーツ界で一番有名なマーケッターになりますよ。」




最後は懇親会。









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