TOP
第18期生
第17期生
第16期生
第15期生
第14期生
第13期生
第12期生
第11期生
第10期生
第9期生
第8期生
第7期生
第6期生
第5期生
第4期生
第3期生
第2期生
第1期生
同窓生インタビュー

<2002年>
立野裕子さん NIC第12期生 北海道・道立札幌南高等学校出身
カリフォルニア州立大学フレズノ校社会科学部心理学科/犯罪学科4年

「ネイティブの学生もおじけてるんだよ!」
泣けるほどうれしかった、友だちのひと言。


小学校の頃から、世界地図などを見るたびに「日本の外に出てみたいな」と思っていました。中学校に入った頃、スイスに全寮制の高校があることを知り、高校留学を考えたことがあるんですよ。それまで、父の仕事の関係で転校することも多く、ちょうど反抗期を迎えていたこともあって、「留学したい!」と考えるようになったのかもしれません。
 「高校くらい、自分の行きたい学校へ通いたい」ということで、札幌南高校へ入学。仕事の関係で、父は釧路で単身赴任、私と弟と母の3人は札幌で生活することになりました。札幌南高校は道内でもトップレベルの高校で、公立なのに私服OKなんですよ。そういう自由な校風が好きで、志望校に選びました。“自分のやりたいこと”が認知されるような、そんな高校だったんです。それで高校に入っても留学への夢は持ち続けていました。

 高校2年生のときに、教育委員会主催のホームステイ・プログラムが実施され、20名の団員の1人として参加しました。オーストラリアのメルボルンに3週間滞在したのですが、そのときの印象は強烈に残っています。とにかく、滞在中に「なにを話したのか」を覚えていないくらい、英語力の未熟さを痛感させられました。「話す」「聞く」が全然できなかったですね。自己紹介とか、挨拶するのにも「10分間で、ひと言話すのがやっと」という感じでした。「中学・高校と5年間英語を勉強してきたはずなのに……」と本当に情けなかったですね(笑)。

 そんな私でしたから、高校3年生になって進学先としてNICを選択したときは、両親も「ああ、ついにきたか」という感じだったようで、とくに反対はありませんでした。「大学では、必ず留学するだろう」というのが、自他ともに、暗黙の了解だったんですね(笑)。

 NICでの1年間は、とにかくおもしろかったですね。親元を離れて初めての寮生活。学生会館で、ほかの学校の人たちと一緒の共同生活でしたが、苦労は、まるでなかったです。学校に行けば、自分と同じく、「アメリカの大学へ留学したい」という目標に向かってがんばっている人たちが周囲にいるわけですし、大いに刺激を受けて必死に勉強しました。北海道から沖縄まで、日本全国からそういう志をもった学生が集まってくるのですから、すごいですよね。
 NICでは、すべての授業が英語を使って進められていきます。高校までの授業とは、まったく違った学び方です。さすがに最初は焦りました(笑)。

 EAP(英語研修課程)では、英語のプレースメントテストによってクラスが分けられます。私は最初、下から2番目のクラスからのスタートとなりました。自分の意見を英語で発言したり、文章で表現するなんて、今まで1度も経験したことがありませんでした。焦って必死で勉強するうちに、少しずつ授業に慣れてくると、今度は「分かっているのに、発言できない」「読めるのに、書けない」ということにイラダチを覚えるようになってきます。悔しいから、さらに必死に勉強する。毎日がその繰り返しでした。

 3学期には飛び級をしてアカデミック(一般教養課程)を選択できるまでになりました。自分でも驚くほど実力がぐんと伸びたのは、2学期に入ってからでしょうか。TOEFLのスコアがいきなり60点も上がったんです。もともと負けず嫌いな性格で、クラスメイトたちから刺激を受けるので、自然と勉強するようになっていくんですね。それでも最後の3学期、最上級クラスになってからは、さすがに授業についていくだけで必死でした(笑)。

 私は高校時代から、「心理学」を学びたいと思っていました。日本の大学で心理学部へ進み、「スクール・カウンセラーになる」という道もあったのですが、「英語」の実力もつけたいし、「犯罪学」にも興味があって……。「その3つをいっぺんにやれるのは、アメリカの大学しかないな」と思ったんです。

 進学先として、カリフォルニア州立大学ではサンフランシスコとフレズノ、ネバダ州立大学ではリノ、一応この3校に絞りました。海に近いサンフランシスコにしようかと考えたのですが、都会だと家賃も高いんですよね。それで、「取りあえずフレズノに編入して、アメリカの生活に慣れてからサンフランシスコに編入すればいい」ということになったんです。

 フレズノは、大学が2つくらいしかない、小さな田舎町です。街の中心になっているのは大学と裁判所で、あとはブドウやアーモンド、イチゴなどの農地に囲まれている感じです。全米でも「地価と物価が安い街」として知られていて、退職してから移住してくる人たちが多いんです。山に囲まれた盆地なので、夏は以外に暑いですね。でも、勉強するのにはとてもいい場所だと思いますよ。

 フレズノで本格的な学部授業が始まったわけですが、授業で使うテキストの分厚さにはびっくりしました(笑)。最初の頃は、本当に四六時中勉強していた感じですね。ネイティブの学生に比べると、テキストを読むだけでも2倍の時間がかかってしまうんです。月曜から金曜まで、平日はきっちり勉強しないと授業についていけません。実習プログラムも始まり、裁判所で聴講してレポートを作成したりしています。論文を書かなければいけないので、「英作文」は必修になっています。

 専門分野の学科のほか、気分転換にもなるので週に1回、バスケットボールのクラスを取っています。ちゃんと1単位取得できるんですよ。バスケットは、高校時代のクラブ活動でやっていました。フレズノにも正式なクラブがありますが、自由に参加できるサークルもあって、学期ごとに登録するシステムになっています。初心者でも、やる気さえあればOKなので、私も参加してみようかなと思っています。スポーツは世界共通ですからね!

 今、2年次に在学しているわけですが、最近では、「大学院へ進みたい」という欲も出てきたので、このままフレズノを卒業して、できるだけ学費をセーブしておきたいと考えているんです。アパートはプール、テニスコート、バスケットコート付きで、毎月約3万円ですからね(笑)。

 現在は、心理学と犯罪学をダブルメジャーで学んでいますが、大学院では「犯罪学」を学びたいと思っているので進学先はニューヨーク州立大学を考えています。親から「大学卒業までは面倒見てやる」と言われていますが、大学院へ進学するとなると、自力で行くしかありません(笑)。奨学金が取得できれば一番いいんですけど……。もっと英語力を身につけて、成績でも評価されるようになって、それで初めて「やっていける自信」ができてくると思うんです。今のやる気を持ち続けて努力していけたら、そのときに改めて大学院へ願書を出したいと思います。
 最近では、日本でも凶悪犯罪が増えてきていますし、「被害者心理学」が必要不可欠になってきていると思います。アメリカで「犯罪学」の学位を取得して、日本へ戻ってから“新たな分野”として、自分で切り開いていきたいというのが、今の“夢”です。

 「自分に自信をもつ」ということは、とても大変なことだと思います。そのために、どれだけの努力が必要か、考えるだけでも負けてしまいそうになります。でも、1つの段階を達成すれば、それがまた前に進むための力になってくれるんです。

 私も、今までにくじけそうになったことが何度かあります。「いくら必死に勉強しても、ネイティブの学生に追いついていけない??」そんなふうにマイナス思考に落ち込みそうになりました。そんなとき、ネイティブの親友から、「ネイティブの学生たちのほうも、きみに対して、おじけているんだよ!」と言われたんです。「初めて訪れた外国の大学で、外国語(英語)を使って学部授業を受けているなんて、すごいことじゃないか!そんな外国人留学生を見たら、みんなビビルんだよ!もっと堂々として胸を張っていればいいんだよ!」と励ましてくれたんです。このひと言は、私にとって“泣けるほどうれしい”賛辞でした。そんなふうに考えたことは1度もなかったから……。

 やっぱり、自分で努力したことは、絶対にムダにはならないんですね。後輩のみなさんたちにも、「なにか1つ、自信がもてるような努力」をしてほしいと思います。それが、どれだけ大きな支えになるか、ツライとき、苦しいときの自分をどれだけ発奮させてくれるか、思い当たるときが必ず訪れると思います。そのためにも、“友だちの存在”は大きいですね。みなさんがNICで、そして、アメリカで、すばらしい仲間たちとめぐり会えることを、心から祈っています。

>第12期生トップに戻る

Copyrights c 2003- NIC International College in Japan All Rights Reserved.