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同窓生インタビュー

<2003年>
高橋あゆみ NIC第13期生 福井県立高志高等学校出身
ディアブロバレー・カレッジ(4年制大学編入課程・準学士号取得)、カリフォルニア大学バークレー(中国語専攻)編入

NICで学んで、生き方が変わった!北京五輪、上海万博に貢献するのが夢。

昨年末、ディアブロバレー・カレッジ(DVC)を卒業してから、福井の自宅へ戻ってきました。トップスクールへの編入をめざして、4年制大学編入課程を履修していたので卒業単位を取得する必要はないのですが、一応、節目として準学士号を取得し卒業しておきたかったのです。ただし、卒業式への参加はキャンセルしました。1日でも早く日本へ戻って、編入後の学費を貯めるためにアルバイトをしたかったからです。

カリフォルニア大学バークレー(UCバークレー)は、中学時代から憧れていた大学でした。国連関係者にもこの大学の出身者が多く、あの国連大使を務めた緒方貞子さんもUCバークレー卒業生なんですよ。NICのOBにも同大学へ進んだ方が大勢いらして、先輩方の話を聞くうちに、「私も、どうせならUCバークレーで学んでみたい」と思っていました。とはいっても、全米だけでなく世界的にも最高水準を誇る大学ですから、もう1校、同じカリフォルニア大学の中で「学習環境が整っている」といわれるUCサンディエゴにも編入申請を出しました。

次代のアジアの担い手として、急成長を続ける中国には以前から注目していたので、「UCバークレーで中国について学び、同じアジア人として貢献したい」という夢を描いていたのですが、自信のほどは半々でした。中国の大学へ留学しようかとか、福井県で実施する中国浙江省への交換留学生に応募しようかとも考えたのですが、ちょうどその頃SARS(新型肺炎)の問題が起こって……。どうしようかと揺れ動いている最中に、UCバークレーから合格通知が届いたんです。うれしかったのはもちろんですが、「UCバークレーで、本当にちゃんとやっていけるのだろうか」という不安が急に膨らんできて、涙が込み上げてきました。卒業するまでの学費のことも頭によぎったのです。そんな私の姿を見て、真っ先に励ましてくれたのは家族でした。母から事情を聞いた祖父までが、「私が援助してやるから、心配せずに、思いきり勉強してこい」と言ってくれたのです。自分を支えてくれる人、励ましてくれる人がいることは、本当にありがたいことだと思いました。応援してくれる家族がいることは、それだけでどんなに勇気づけられるかしれません。

生きていくのが精いっぱいという国もあるというのに、日本に生まれて、私はなんと恵まれていることか。「学びたいことを学べる幸せ」を改めて実感しました。ちなみに、UCサンディエゴもちゃんと合格しましたよ。


両親が福井県の国際交流にボランティアとして参加し、交換留学生のホストファミリーを務めていた関係で、“留学への憧れ”は幼心に自然と芽生え始めたのだと思います。大好きな番組は「早見優のアメリカン・キッズ」。アメリカへの憧れ、英語への興味は日に日に高まっていきました。

NICとの出会いは、雑誌に掲載されていた記事が最初です。資料請求ハガキを出したところ、一番早く、一番たくさんの資料を送ってきてくれたのがNICでした。それで、私の進路も決定しました。事務局の先生方の熱意が伝わってくるようで、「ここなら信頼して、“夢”に向かって勉強できる」と確信したからです。

振り返ると、NIC入学当初が一番自信にあふれていた時代だったかもしれません。高校時代に英語弁論大会やスピーチコンテストに挑戦し、入賞経験も多々あったものですから、その自信もあって、新入生代表のスピーチに立候補したんですよ。本当は上がり性のくせに、自分でも驚くほど堂々とスピーチできたのは、「いよいよ、“留学への夢”のスタート台に立つことができるのだ」という喜びでいっぱいだったからでしょう。でも、その自信が続いたのはヘッドスタートのときまで。最初の1学期からEAP(英語研修課程)の最上級クラスで学んだのですが、クラスメイトには帰国子女の人たちもいて、その英語力のすごさに圧倒されるばかり。一気に自信喪失です。2学期からアカデミック(教養課程)のクラスへ進んだものの、なかなか実力の差は縮まりません。

それに奮起して、最後の3学期はそれこそ必死になって勉強しました。友人たちとスタディグループを作って、学校のラウンジが閉まるギリギリまでねばって一緒に勉強したんです。ほかにもファストフードのお店でノートを広げるときもありました。いつも3、4人で集まって勉強していたのですが、お店にとってはきっと迷惑だったでしょうね(笑)。NICをはじめ、アメリカの大学のテストでは、「どうしてか」という理由や、「どう分析・考察したか」という自分の意見を記述しなければなりません。そのため、1人で勉強するより、友人たちとディスカッションしながら勉強し合うことがすごくためになるんです。相手に自分の意見を説明しているうちに、自分の考え方を改めて見直せるというか、自分もまた新たに学ぶことができるのです。こうした学び方は、NICで初めて体験するものでした。猛勉強した甲斐があって、3学期はオールAを取ることができたんですよ。

NICの友人たちは、同じ目標をもっている仲間であり、同志です。それぞれの“夢”を真剣に語り合えることも大きな喜びでした。落ち込んだときは支え合い、励まし合い、たまには休みの日に気分転換に出かけたり。こんなふうに友人たちと親密に付き合ったことは、今までになかったことです。NICに出会って、学び方も、そして、生き方さえも大きく変わったと思います。

DVCでは、NICとはまた違った学びを体験することができました。2年制の大学ということもあり、年齢も経歴も、本当にさまざまな人たちが同じキャンパスで学び合っているのです。年配のご夫婦で一緒に講義を受けている人たちもいれば、トップスクールへの編入をめざして学んでいる社会人もたくさんいました。「学びたい」という人たちに対して、すごくオープンに受け入れてくれるのです。なんといっても、そこがアメリカの大学の最大の魅力なのではないでしょうか。

私は4年制大学、しかもトップスクールへの編入をめざしていたので、夏休みも勉強ひと筋という感じで、サマーセッションのクラスを取りました。勉強といっても、多彩な分野の選択科目が設定されていて、教養科目だけでなく、「映画概論」や「エアロビクス」「バドミントン」「ヨガ」など、ユニークなクラスがたくさんあります。日本でも生涯学習が啓蒙されていますが、アメリカではだれでも自由に大学のクラスで学ぶことができます。地域に密着した学びのあり方が、きちんと構築されているのです。これは、本当に素晴らしいことだと思いました。

人間は、だれでも独自の波長をもっているのだと思います。「類は友を呼ぶ」ではありませんが、自分と同じ波長の人たちが集まってくるのです。自分自身を向上させる出会いを望むなら、まず自分の波長を高めていかなければなりません。「他人は、自分を映す鏡だ」と思うのです。だからといって、無理をしてがんばることはありません。自分でできる範囲で、やれることをやる。やればやっただけ、その成果は必ず返ってくる。たとえ失敗しても、自分を信じて乗り越えていけば、また別の道が開けてきて、新しい世界が広がってくるのではないでしょうか。「失敗=自分はダメだ」ではなく、「これは、自分に合っていなかっただけだ」とポジティブに受け止め、新たな目標に向かっていく強さを持ち続けていきましょう。自分が楽しく、輝いていないと、素晴らしい出会いもないのですから。

UCバークレーでどんな出会いが私を待っているのか、今はその期待を胸に、福井の自宅でアルバイト生活をがんばります。当面の目標は「2年間で卒業すること」ですが、UCバークレーでより広く、より深く学び、自分の実力を鍛え上げていきたいと思います。そして、社会人として経験を積み、来るべく2008年の北京オリンピック、2010年の上海万国博ではコーディネーターやスタッフとして参加し、大会成功に貢献できればと願っています。2008年まであと5年、私も26歳になります。そのとき、人間として、どれだけ成長しているか、自分でも楽しみにしています。


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