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同窓生インタビュー

<2004年>
山村佳世さん NIC第14期生 静岡県西遠女子高校出身
リバプール大学チェスター・カレッジ国際開発学&健康科学専攻

「It’s up to you. 最後は自分が頼り。」

「インタビュー、英語でOKですよっ!」明るくそう言いながら大学のカフェに現れた山村さん。国際機関で働くことを目指して奮闘する今の様子を語ってもらいました。



目指すは国際ソーシャルワーカー


海外進学を考え始めたのは中学の終わりぐらい。その頃から国連で働きたいと思っていて、高1のときにNICの説明会に参加したんです。それで「国連で働くにはどうすればいいのですか?」と質問したら、それはもう海外に留学したほうがいいと・・・。進学校だったので先生は国立に行かせたがってましたけど、私は海外を選びました。地元の浜松から東京に出るのも、海外に出るのも同じだという感覚でいましたから。
専攻は国際開発学と健康科学です。最初は国際関係学を専攻しようと思ってたんですけど、ある日パッと「私は本当にこれがやりたいの?」と考えて・・・。私はこういうことって多いんです。直感−intuition−を信じるというか・・・。そんなときスタッフォードの先生に相談したら、専門性が問われるのは大学院からなので学部レベルでは自分が本当にやりたいことを勉強したほうがいいよとアドバイスされたんです。それで色々考えてみると、私は人間の体のことに興味があるって気づいたんですね。高校のとき真剣にスポーツをやっていたので、健康のには特に気を遣っていましたし・・・。選手としては大した結果を出せませんでしたけど、将来は運動選手のトレーナーや栄養士もやってみたい、ってどんどん考えが広がっていって・・・。でも心の底にはやっぱり発展途上国で困っている人たち、時に子供たちのために何かしたいという思いが強くあったので途上国発展の勉強もしたいと思ったわけです。
将来はとにかく国際的な機関で働きたいですね。規模は関係なく、自分がやりたいことが出来るのであれば世界のどこにでも行って・・・。最もやりたいことですか?いま思ってるのは、まず子供たちの成長のために広い意味でいい環境をつくること。特に東南アジアの児童売春を止めることです。その子の未来が本当にめちゃくちゃになりますから・・・。東南アジアは、特に日本が悪い意味で関わりが深いので、という理由でなにか責任を感じます。

恵まれているのに悩んでいる自分が嫌だった・・・。

私は昔から子どもが好きだったんです。それで「保母さんになろうかなー」と考えたりした時期もあるんですけど、日本の子どもって恵まれているので、何かもうちょっと困っている子どもを助けたいというか・・・。思春期に色々考えました。悩みもしましたよ。
浜松出身なんですけど、2歳から12歳までは名古屋にいて、中学からまた浜松に戻ったとき、何というか田舎をバカにしたようなところがあって・・・。そんなだからクラスでも孤立してストレスが溜まって苦しかったけど、別にそれ以上の苦しみはないというか・・・。ちょうどその頃、「トットちゃんとトットちゃんたち」(黒柳徹子作)を読んだんです。読み終わった後、世界の子供たちが直面している厳しい現実へのショックと、自分に対しての情けなさで涙があふれました。またピューリッツアー賞の写真展を見に行って、アフリカの子供たちの苦しみは自分とは比較にならないだろう、と。それで学校を休みがちになって退学しようと思ったこともありました。でも私が国連で働きたがっていることを知っていた先生に言われたんです。「高校も出ないで国連で働けるわけないでしょ。無理に来なくてもいいから、来れるときには来なさい」って。これでスッと気持ちが楽になりましたね。せっかく恵まれた環境にあるんだから、めいっぱい頑張って大きな事を成し遂げてやろう。世界中で苦しんでいる子供達のためになりたい。そう思うとどんどんやる気と勇気が湧いて来て、前向きになってきたんです。その頃、柔道も始めて、学校を休んで柔道だけ参加するのもおかしいので学校には行くようになりました。

マスター(修士号)まで取るつもり

柔道はこっちでもやってるんですよ。2段なんですけど、この前、地区のオープン試合で負けてしまいました。相手はイギリス人だったんですよ。これで日本人としての闘争心が湧きましたね。本場から来ている人間としては負けられない。でも柔道を通じて友達もたくさんできました。柔道に限らずスポーツを通じると友人は出来やすいと思います。こういう経験も将来、世界中の困っている子どものために役立てたいと思っています。
結構クラスは大変で、最初はまったくついていけずに「どうしよう」という感じでしたけど、あきらめたら後がない。帰る場所も未来もない。諦めることが許されないというか・・・。授業でもなかなか喋り出せないことに本当にイライラして、“もう失敗してもいい、どうにでもなれ!”っていう勢いで講義に参加したら、びっくりするくらいすらすら喋れて、何だ、やればできるんじゃんって。やっぱり悩んでばかりじゃなくて、失敗しても構わないっていう気持ちで挑戦していくことが大事だなって思いました。
まだまだ勉強はこれからですけど、大学院まで進もうと思っています。去年の夏に国連大学のユニセフ事務局で働いている人のところに話を聞きにいったら、やっぱりマスターは取っておいた方がいいと言われたので。

イギリスに来て謙虚になった

こっちに来て最初に困ったのは、英語のアクセントが強いこと・・・。でも相手にしてみれば私の英語は日本語アクセントがあると思うから、お互いに慣れるしかない。最近はだいぶ慣れましたよ。
でもまだやっぱり言葉の壁があるから、わからないことだらけ・・・。だから人に頼らなければならないですよね。イギリス人は世話好きな人が多いということもあるかもしれませんけど、本当に良くしてくれる人が多い。私はむかしはわがままでしたけど、最近は人の優しさがわかりはじめてきましたよ。ちょっと謙虚になったかも。
そういえば少数派っていうのがどういうことかも分かって来た気がします。実家の近くには外国人労働者がたくさんいたけど、自分がその人たちのことをどう思っていたかって考えるとすごく後ろめたい気持ちになりました。また自分が日本人だっていうことを急に意識するようになりましたね。今までは、日本にいても面白くない、つまんないって思っていましたが、今は日本が懐かしい、故郷が恋しいってすごく感じています。きっと海外に出てみなかったら、自分がどれだけ日本が好きだったか、実家を大切に思ってたかってきっと気づかなかったと思います。
あと日本では誰かに相談すると何かしら導いてくれますよね。でもイギリス人は話は聞いてくれるけど最後は”it’s up to you.”って言われる。自分で決めなさいって。そういえば私の両親も放任主義というか私のすることに口を出さなかったですね。何を聞いても「自分で調べなさい」という感じで。おかげで自立はしたかもしれないけど、もうちょっと構って欲しかったような気がしないでもないです。でも結局最後は自分が頼りということなんですよね。どこにいても・・・。


過保護な世の中、自分で何も決めることが出来ずにいる人が増えている。誰かに頼ることに慣れてしまうと人の成長は止まる・・・。
なんだかんだといいながら、やるべきことはやってきている山村さん。ただ考えるだけではなく、それを行動に移すことの出来る人には、おのずと道が開けていきます。まだまだ先は長いけど、今のまま素直に自分の考える道を突き進んで行って欲しいと思いました。


リバプール大学チェスター・カレッジ 
http://www.chester.ac.uk/

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