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北海道・東北関東北陸・中部近畿中国・四国九州・沖縄海外



北海道
藤田 好美 (ふじた よしみ)
室蘭栄高等学校

 2002年。
 この年は、私の人生にとって重大な要素を秘めているに違いないと確信している。高校3年の6月にNICを受験したが、その年の4月までは東京に進学、ましてや留学などおよそ頭の片隅にも予期してなかったことだろう。なぜそんな短期間で私がNICに入ろうと決めたのか、迷うことなく「留学」の二文字に惹かれたのか、未だにわからないところもたくさんあるが、まるでその不思議は、何か決めてきた道であるかのように感じている。そして事実、私は「留学」という夢に向かって歩んでいる。NICに来て半年、始めは何もかもが不安で、途方もない淋しさに呑まれたこともあった。けれど、大丈夫。今、ココにこうして在ることができている。でもこれは、両親やたくさんの支えてくれている人々の大きな理解と助けがあっての「今」である!ということを忘れず心に刻みたいと思う。この場をお借りし、私を支えてくれている全ての存在に感謝と敬意を心から表したい。
  Thank you so much from the bottom of my heart...


北海道
尾谷 那由 (おたに なゆ)
北見柏陽高等学校

 那由=large capability。数字の単位が由来の私の名前にはこんな意味がある。はっきり言って今は完全に名前負け。でも可能性はこれからどこまでも広がるかもしれない。可能性−すべての人が持っているもの。その扉を閉じたままにしておくのも、開いて前に進むのもすべては自分次第。私はその扉を開き、自分の可能性を探そうと決意して留学という道を選んだ。扉を開いた最初の階段−それが私の場合はNICだった。留学を目指しているNIC生はみんな可能性の扉を開いた人達だと私は思う。NICでの勉強は本当に大変。「なんなのこの量!」って叫びたくなるほど本当に宿題が多い。でもそれはこれからの自分にプラスになる事だし、今のうちにがんばっておく方が後のステップが楽になると思う。でも時にはつまずいて諦めたくなることもある。そんな時支えてくれるのが友達。私はNICで本当の意味での友達が出来た。みんなおもしろいし、悩んでいる時に励ましてくれる。"You can do it, Nayu." 友達のこの言葉があったから今までがんばってこれたんだと思う。そしてもう一つ大切なこと−それは自分の可能性を信じること。「もうだめだ」と思った時は、もう一度険しい道の先に広がる自分の可能性を信じてみよう!


青森県
工藤 優子 (くどう ゆうこ)
青森高等学校

 好きなのは家族、友達、歌うこと。地元大好き青森人間で知られている(はずな)私。友達には何回「青森愛してる」宣言したことか。なにはともあれ波乱万丈、結構濃い生活してきました。Outingまでは特に。軽く3回ほどステージに立っちゃいました。JAP、イヤソン、TGJK、とにかく目立ちたがりなもんだから、すきあらば目立ってました。知る人は知っていますが「4階のごみ」だったうちらはいわばTGJKの隠れ主。相方のまこちゃんとは数々の名(迷)言を生み出しました。まぁ、誰とはいわないけどもっとすごい名言を編み出してみちゃったんだけどどうかなぁ?なんて人もいましたが。毎日毎日ひたすら練習練習、寝る時間を削ってきついと思うことはあっても苦しいと思うことはなかったです。
 今日までいろんな人に出会って、いろんな新しい考え方も見つけた。やりたいことを思いっきりやりたいって言えるようになったし、実際やってきたこともたくさんある。やらないで後悔するよりはやったほうが絶対いい。周りの人みんなに精一杯のありがとうをいいたい。みんなありがとう。


青森県
西山 恭皓 (にしやま やすひろ)
八戸工業大学第二高等学校

 自分がNICに入学して今感じることは、自分が入学する前の高校生の時より、回りの環境が大きく変わったということです。まず、今住んでいるところは大好きな青森県ではありませんし、家族もいません。生活に慣れるまでが大変でした。でも、ここまで到るにはなんといっても友達の存在があったからです。もちろん家族のサポートもありましたが、友達の支えというのは回りの環境の中で一番変わったと言ってもおかしくないです。NICでできる友達は心から喜んでくれたり、悲しんでくれたりと家族みたいなものです。NIC生のほとんどは一人暮らしで家族がいませんし、「留学」という共通の目標を持っています。その分お互いを大切に思うという気持ちは強いのだと思います。ですから地元ではできない友達だと思います。これは今までの自分のNIC生活を通して自信をもって言えることです。自分はNICでバスケサークルを作り、ダンスサークルに入っています。サークルやクラスの友達というのは自分にとって大切な存在かつ、笑いの提供源でもあります。今、東京で生活をしていてただ1つだけ改めていえることは、NICに入学して後悔はしてないということです。


岩手県
藤澤 昌宏 (ふじさわ まさひろ)
紫波高等学校

 自分の好きな言葉で"If you put your mind to it, you can accomplish anything."=「なにごともなせばなる」という言葉がある。これは有名な映画の名言だ。かなり幼いころからこの映画は大好きで英語には少し興味があった。そして高校2年生の時にアメリカへ留学し、いままで自分が知らなかった様々なものを知り、それとともに考え方も変わってきて海外で勉強したいと思った。そしてNICを選んだ。
 NICに入ってからはたくさん宿題やスピーチなどでけっこう忙しい毎日を送っている。でも、その中で確実に自分が変わったと思うことがたくさんある。例えば、自分から積極的になったことだ。授業の中で自分から手を上げるようになったし、アメリカに一人旅だってしたし、今はこうして47人の精鋭たちだって書いているわけだ。つぎに考え方が変わってきたことだ。高校では楽しくない授業、ただ理解できればよい授業だったけど、NICに入ってからは本当に楽しい授業と思えるようになったし、NICにはいろんな人がいるので自分の意見をいったり他の人の意見を聞いたりするのも楽しくなった。それに気がつけば、Tutoring Centerを毎日のように使うようになっていた。そして今もう半年が過ぎていて時間の早さを感じている。これからもこのなんか楽しくて忙しい生活を続けていきたいと思う。
 将来は今の自分が創造もつかないようなことをしたいと思う。幼いころの自分が今の自分を想像できなかったように...... 
 "Your future hasn't been written yet. No one's has. Your future is whatever you make it. So make it a good one."


岩手県
小田代 美帆 (おだしろ みほ)
盛岡商業高等学校

 期間限定東京っ子。英語かぶれと称される事多々有。晴れの日は『洗濯』と示す思考回路。現在の立場微妙。一言で表すならば『18+1・20‐1』夢は脱夢見る少女(!?)で高給取り。それには英語は必須。そんな腹黒な。今欲しい資格は米国公認会計士。脳内の割合、英語3=日本語7。全然駄目。来年は米国ド田舎(仮)自分嫌い、でも大切。結局自分と向き合うしかない。ここ2ヶ月程自問自答の繰返。『夢』と『将来』は別物だと知る。この一年は学ぶ事ばかり。自分叱咤激励。感謝御礼。両親へ、兄弟へ、祖父母へ、旧友へ、学友へ、先生へ。虚勢を張る自分に無理を感じるも現状維持。でも決定的に努力不足。圧倒的に努力不足。向上心旺盛。好奇心と恐怖心も同じく。世間知らずの汚名少しずつ返上中。馬と鹿には失礼だと思うが脱馬鹿宣言。先日某占いでの自分の値段約6千万円。大半が運で構成。気分は複雑。他人より一年長かったモラトリアム強制終了。『人生自分発見・開発・発展・制御・幕引』未だ全て未到達。さっさか進めよ我が道を。B型らしく。大股一歩でも小股一歩でも。全力ダッシュでも亀並みでも。女性の平均寿命80歳。残り61年。教科書やギネスブックじゃなくていい。大勢の人々じゃなくていい。何かを残して「いい女」で最期を迎える。私の野望。来年6月脱日本。明日は今日の繰返ではなく、明日の自分に期待大。頑張れ今日の自分。


岩手県
佐藤 行恵 (さとう いくえ)
盛岡中央高等学校

 情報の難しさ;溢れてる情報と自分が欲しい情報と、どの情報が本当でどれが嘘か、正反対の情報が両方正しいこともあるし両方嘘のこともある、ちょっと本当でちょっと嘘のこともある、それを見極める自分の中の先入観をどう扱うか、どの立場から見るか、どんだけ長く生きても知ってることより知らないことの方が多い、時代は流れるし、歳をとるほど正しいことを素直に見極めるのは難しくもある、増えていく責任と大人の事情。現実と理想の隙間に埋もれそうになる。私が過ごした一年はやらなきゃいけないことと考えなきゃいけないこととをコーヒーと栄養ドリンクでやり過ごす毎日。
 でも学校に行くとホッとしてめちゃめちゃ楽しい
(^−^)みんなマイペース過ぎ(笑)私じゃどんなに考えても思いつかないようなこととか絶対ありえない考え方を普通に主張する。そこでまた自分自身の中でも新しいものが生まれる。視点の違いってすごい!!一人で考えるってことはどうしようもなくつらいことだったりするけどそれをみんなで語り合うことはたまらなく楽しくて刺激的で。まだ答えなんて全然わからないけど。今私は私じゃなきゃいけない場所がほしい。特別な能力なんて何もないけど、他人は私にはなれない。でも私は今から何にでもなれる♪失敗作がノーベル賞とちゃうかもしれないし♪ 


岩手県
佐藤 倫生 (さとう みちお)
一関第一高等学校

 僕が留学を選んだきっかけは高校二年の夏に一人で観に行った海外の科学者のレクチャーだった。そのレクチャーはそれまでに聴いたものの中で一番楽しく、僕の考えをがらりと変えた。しかし、片田舎の高校生にとって留学という夢のような考えはもてても現実味は薄かった。英語の先生はよく「これからの世の中では国際人が求められる。」と口ではいっても教えてくれるのはセンター試験の点数をとる方法だけで、留学の相談などしても「お前の英語力ではむりだ。」なんて自分だってぜんぜん喋れないのに言ってくるに決まっていた。そんな時ひとつ年上の女友達がアメリカに留学した。その時僕もやってみようと決めた。
 そして模試をサボってNICの説明を聞きに行き、入学した。英語の先生は悔しがっていたし、「どうせ日本の大学に入れないから留学するんだろ。」なんてことを言うやつらもいた。たぶん留学を目指している人は似たようなことを言われたことがあるだろう。でも僕にいわせればそんなやつらは普通という線を越えるのが怖いだけでなにもできないやつらだ。現に僕の日本の大学に行っている友達で大学の授業に全く楽しみを見出せていないやつが沢山いる。それに引き換え僕は日々の授業で学ぶ事が沢山あるし、夢も持っている。さぁーてどっちがよい選択をしたのでしょう?


秋田県
小野 麻里子 (おの まりこ)
大検

 NICには魅力的で優しい人がたくさんいる。私は、そんな友達の中で毎日勉強できるのがとても楽しい。宿題に追われる毎日が辛くて何度もやめようと思った時、なんとかやめずにすんだのは、絶対に留学を諦めたくないっていう気持ちと、そういう環境があったからだと思う。人とあまり関わらないようにしてきた私が、皆のpay attention の中に当たり前に入っていることに初めはとてもびっくりして、戸惑った。自分の周りに張り巡らせていた防衛線がだんだん邪魔になっていった。「頑張る」って孤独で辛い事だと思っていたけれど、皆のおかげでもっと楽しい事だったって知ったよ。まだ皆にちゃんと言ったことがないから声を大にして言いたい。皆、本当にありがとう。ここで逢った人みんなにすごく感謝しています。私はここで、人として大事なことを皆からたくさん学びました。そして最後に、両親に。好きなことをやらせてくれて本当にどうもありがとう。初めて一人暮らしをして、今までどれだけ自分が家族に守られて生きてきたかを身に沁みて感じました。心身ともに鍛えるためにも、しばらくアメリカに行ってきます!


宮城県
阿部 駿一 (あべ しゅんいち)
東北学院高等学校

 思い返せばちょうど1年前、岩手から来ました。高校3年生のとき、読んでいたこの本に自分が載るのは嬉しくも、恥ずかしくもあります。この学校に入ってからの1年間は、生きてきた19年間の中で最も濃い1年でした。中学・高校と‘全国英語が嫌いな人グランプリ’で6連覇を成し遂げた伝説の男であるこの僕がこの学校に入った理由は、夢を叶えたいと思ったからです。僕の夢は世界一の競馬の調教師になることです。ハウエヴァー(しかしながら)ぼくは日本語大好きで、外国語はニキビとじんましんがでるくらい嫌いだったので授業は厳しかったです。授業は当たり前だけど全部英語なので、最初のほうはかなり苦労しました。宿題もすべてやるには1日かかる日もありました。ハウエヴァー(2回目)そんな僕にもいつしか英語に対して親近感が出てきました。大空翼のように「トモダチ」にはなれなかったですけど「シリアイ」くらいにはなれました。(できることならケツメイシさんにはこんどこの題名で歌を作ってほしいです。脱線してすいません。)英語に親近感が出てきたぼくは数々の誘惑に負けたものの何とかいまは夢を実現しようと頑張っています。2回目ですが僕は世界一の調教師になることが夢です。夢を実現するのはすごく困難です。それがイイです。なったときの嬉しさは半端ないと思うから。


宮城県
阿部 剛巳 (あべ たけみ)
仙台育英学園高等学校

 この言葉は僕が中学のときに尊敬していた先生が教えてくれた言葉です。

一. 自分のために学べ。

二. 自分の中に幸福を見つけよ。

三. 自分の体をまっすぐにせよ。

四. 経験をまじめに蓄え宝とせよ。

五. 逆境を学校とせよ。

六. 自分で耕し自分で汗をかけ。

七. 争うときは原因とたたかえ。

八. 目標を持ち正面を見つめて歩め。

九. 新しいものを生み出せ。

十. まじめに生きるものを友とせよ。
 勉強だけではなく多くの事に挑戦してみたいと思ったこの一年、後悔のないよう自分なりにがむしゃらにがんばってきました。迷うことも多かった僕は迷うたびにこの言葉を読み返し、自分の歩むべき道を見詰め直してきました。多くの事よりも一つの大切な事が知りたくて戸惑うこともあったが、自分で迷い悩み考えることが大切であり、その答えや結果はかけがえのないものだと今では思えます。NIC生活で一番の宝は何かと聞かれればそれは出会いであろう。ある友達がこう教えてくれました。『自分が変われば周りを変えることができる』自分の考え方、視点さえ変えれば世界は全く変わって見えるだろうとその時気づく事ができました。すべては自分次第、そう考えると世界は自由で広くはないでしょうか。


宮城県
亀川田 祐矢 (きかわだ ゆうや)
大検

 振り返ると、月日がたつのは早いものでもう12月だ。僕にとっては久しぶりの学校生活。不安はなかった。むしろ日本中から人が集まって来ると思うとわくわくした。この学校に入学して、自分自身が変わったことと言えば・・・・特にない。しかし、知った事といえば数えきれない。人の温かさを知った。優しさを知った。自分にとっての本当の意味の「友達」を知った。そして何よりも感謝の心を知った。しかし僕には欠点がある。素直に感謝の気持ちを表すことが出来ない。特に両親にだ。多分僕は人一倍迷惑をかけたと思う。そして、これからも世話になっていくだろう。僕は「ありがとう」を言葉にすることはないと思う。それはくだらない意地が、常に僕につきまとうからだ。だから必ずアメリカで成功して態度で表すつもりだ。それともう少し知ったことがある。それは、「人は一人では決して生きられない」「人は死ぬまで人に世話になっていく」そしてもう一つ、「人は常に感謝の心と共に在る」と言う事だ。


宮城県
三浦 得生 (みうら とくお)
多賀城高等学校

 自分って、どういう生き物か考えてみた。すごく弱い人間で、自分にない能力をあるように見せたがって、無理に自分を表現してた。「他人に良く思われたい」っていうのもあっただろうけど、自分自身の無力さを認めたくなかっただけかもしれない。弱い心とプライドの高い理性が同じ生物体の中にいるわけだから、常に葛藤があった。正直、ここに生きてることに疲れた。
 カウンセラーに助けを求めて、教わったことがあるんだ。人に欠点があるのは当然なんだ。不完全だからこそ上を目指せるし、更なる可能性がある。それに、例え今の状況が悪いからといって、未来がなくなるわけじゃないんだ。今頑張れないから、明日も頑張れないというわけじゃない。今というのは、ただ通過点に過ぎないのだ。うん。すごく良い言葉だ。
 ある詩人が言いました。花はなぜ美しいか。それは、ただ咲いているからだと。人のように見返りを求めず、愚痴も言わず、ただ自分の花を精一杯咲かせる。だから純粋で美しい。自分もそんなふうに生きてみたいと思った。誰にも相手にされず、道端でのほほんと咲く花も美しいんじゃないかな。今は嵐の真っ真中だけど、ふんばって、ねばって、乗り越えようと思う。さあ、どんな花を咲かせようか。こんなメッセージを自分に送ろう。


山形県
阿部 幸洋 (あべ ゆきひろ)
酒田東高等学校

 人間は誰もがあと何十年かすれば必ず死ぬ。若いうちは、人生は永遠に続くもののように感じがちであるが、死は一刻一刻とやってくる。だからこそ考えなければならない。自分とは何なのか、自分にとって必要なもの、不要なもの、今やらなければいけないこと、自分の未来について。いまの私たちには考えなければならないことは山ほどあるはずである。限られた時間のなかで、よりよい人生を送るために考えることは何よりも重要である。
 考えるためには、現時点で持っている自分の知性がものをいう。人間、始めはみな同じ、非常に無知で野蛮なものである。それを自分でどれだけ知識を蓄えようとするかが自分の人生を決める。考える力は今自分が持っている知識がすべてであるから。知識を得るためには本を読むこと、読書をすることが最良の方法であると私は考える。そして、本当にいいものを見て、聞いて、感じること、それが自分の血となり肉となり結局は自分の人生を豊かにする。
 人生は限られている、しかしだからといって刹那的であってはならない。よりよい人生を送るために私たちはできる限りの知性をつけ、そして「考える」べきである。


山形県
新関 史 (にいぜき ふみ)
米沢東高等学校

 将来、アジア諸国で英語を第二言語としている人に英語を教える事、それが私の夢だ。高校の時、スコットランド、イングランド、アメリカのホームステイを通して、物事を英語で学ぶ面白さを知り、留学を決意した。そして私は今NICにいる。
 NICでは、全てのクラスに於いて壁にぶつかることがたくさんあってよく落ち込んだ。毎日何時間も勉強しても、なかなか結果がついてこない時もあった。でも少しずつだが、目に見える形として成果が見られる時は嬉しい。励ましてくれる友達や先生たちは私にとってかけがえの無い大切な人達だ。英語という一つの道を選んで、そこから自分で無数のチャンスを掴んでいくという事ほどおもしろい勉強は無いと思う。NICに入ってからは、視野がさらに広がり、自分の考えを大切にするようになった。私にとってNICという所は新しい世界の第一歩だった。日本にいながら、外国に居る様な感じだ。
 将来は英語だけでなく、世界が人に何を求めているのかというのも教えていきたい。教育は人を変えることができる。何年後かに、私自身その鍵となる仕事をしている事を思いながら、これから日本、アメリカで頑張っていきたい。これからも辛いことがたくさんあるだろうけれど、全てやってこなせる自信はある。それはやはりNICでの自分があるからだと思う。


山形県
佐藤 友美 (さとう ともみ)
酒田西高等学校

 NICでの時間は本当にあっという間に過ぎていく。これまでの時間にはたくさんのことが凝縮されていて、辛いこと、苦しんだ事もあるのだけど、それ以上にこの上ない喜びもあったし、学んだことも多かった。とりわけ認識が変化したことといえば、家族に対する考え。もとより家族のことは大好きだったけれど、離れて暮らすということで、より一層家族に対する愛情が深まったし、その存在がいかに大切なものであったかを知り得た。今までは気が付かなかった家族の私に対する愛情にも触れることができた。壁にぶち当たって、目の前の現実から逃げたくなったとき、私はいつも両親や妹からのメールや電話の声に支えられ、活力をもらった。今、こうして実に充実した生活を送っていられるのは、友達や先生方のおかげという事ももちろんあるけれど、何よりも家族のおかげだと思う。いつも私の幸せについて考えてくれて、支えてくれる家族・・・そんな家族をもつことができて私は本当に幸せ者だと改めて感じた。これから更に厳しい道を進むわけだけれど、その厳しさに屈することなく、家族が私にくれた幸せを今度は私があげられるよう、そして彼らの誇れる家族の一員になれるよう精一杯がんばっていきたい。


山形県
佐藤 祐子 (さとう ゆうこ)
米沢東高等学校

 私は英語が嫌いだった。大嫌いだった。
 中学生の時、私には夢があった。私には夢があった。留学すること。外国に興味があり、将来は世界中を旅し、そして暮らしたいと思った。しかし、夢は夢でしかなかった。現実と言う名の壁にぶちあたったのだ。そう、私は英語ができない。英語を克服しようとは思わなかった。無理だと思った。あまりにも壁が大きすぎたから。これをきっかけに、次第に自分で壁を作るようになった。そうすれば傷付くこともない。私にとって、その壁は保険のようなものだった。
 NICのパンフレットを見たとき、大きな衝撃を受けた。自分の弱さを認め、自分ときちんと向き合っている姿は輝いて見えた。私とは全く正反対の生き方をしている。私は常に自分から逃げていた。自分と向き合ったことなんて一度もなかった。自分というものがわからなかった。
 NICへの進学を決意することは、自分自身への挑戦だった。当然、英語が秀でたわけでもなく、英語を話すことなんてもってのほか。高校での英語の成績も下から数えて何番目。不安だった。これから嫌いな英語と付き合っていけるのか?ゴールのない迷路に迷い込んだような絶望感。でも私は決めた。
 もう逃げない!
 そして今、私はNICにいる。正直まだ不安だ。でも、私には夢がある。心理カウンセラーになること。この夢が現実のものになるのは何年後だろう・・・?5年後、いや10年後かもしれない。長い道のりだ。しかし、夢をもてたことを幸せに思う。何年かかってもいい。私は必ずこの夢を実現させる。


福島県
古谷 光 (ふるや ひかり)
白河高等学校

 この学校に入って様々なことを学びました。人間関係・友達・そして勉強。今までこんなに早く時間が経ち、充実していた事はありませんでした。月日を間違えて書いてしまうことはしょっちゅうで、学校が終わり宿題をしたら一日が終わっていました。今までの自分がいかに誰かに支えてもらわなければ何もできないことを知りました。そして、その事に今まで知らず知らずに甘えていた自分がいた事を知りました。しかし、こんな自分を発見できたのもこの学校に入ったからだと思ったのです。こんな自分を知ることなく十年、二十年経っていたらもっと衝撃を受けたでしょう。また、私は十八年間生きていてこんなにも親に感謝したことはありませんでした。高校とは違うタイプの人たちと出合い、その人の育てられ方や今までの生き方を聞き、今まで理解しがたかったところも理解でき、親のありがたみを感じました。鳥かごを出て、たった百五十キロ離れた所で生活すると、こんなにも世界が広がっていることを知りました。こんなに短い距離でここまで違う世界があるのだからアメリカにはどんなに素晴しい世界があるのだろうと思うと楽しくなってきます。私は、楽しい世界だけに飲み込まれずその波にのって生きていきたいです。


福島県
鈴木 淳志 (すずき あつし)
白河旭高等学校

 高3の夏が終わるまで僕は日本の国立大学に行くためにただがむしゃらに興味もない公式や年号を頭につめ込んでいた。先生にどこの大学に行きたいんだ?何を学びたいんだ?と聞かれても、僕自身別に日本の大学に行きたい理由がなかったので、英語を学びたいとしか言えなかった。それで僕は、進学雑誌でNICを見つけ、そのプロセスに惹かれたのでここを受験する決心をつけた。先生や友達には“人生失敗したね”とか“そんな知られていない学校に行くなんて頭おかしいよ”とかまで言われた。しかしまわりからなんと言われようと僕の決心はゆらぐことはなかった。そんな簡単にゆらぐようでは留学したいなんて言えるはずがないだろう。
 今、NICで半年を過ぎてみて思うことは、つまらない日本の大学に行って、バイト漬けの生活を送るよりも、宿題はかなりツライけれども一歩一歩夢に向かってがんばってるNICでの生活のほうが1000倍は、充実してると思う。最後に僕のわがままを理解してくれた親や友達に感謝したい。


福島県
渡部 舞 (わたなべ まい)
喜多方高等学校

 今までのNICでの8ヶ月は本当に早かった。大変なことが沢山あったけど、自分の力を搾り出してその厳しい環境に順応して私は精神的にも肉体的にも強くなれた。個性豊かな友達にも恵まれ、物事を見る視野も広がり、勉強以外でもいっぱい学べた。高校時代には見逃していたような些細なことも疑問に思い、ひとりで考えたり分析したりして頭痛を訴えたとことも・・・。家族の愛を離れて暮らしてより強く感じ、改めて家族を大切にしたいと思った。自分勝手で意地っ張りで一見手がかからなそうな私。けれど、家族の皆様今までいろいろ心配かけてごめんなさい。そして広い心と温かい目で見守ってくれてありがとう。心配してくれる人、応援してくれる人に囲まれた私はホント幸せ者。NICでこうやって充実した日々を過ごせるのも、両親が私のやりたいことを理解してくれたからこそ。この恵まれたチャンスを活かさねば!留学すればもっとスゴイ荒波が待ち受けているだろうけど、そういった厳しい環境の中でこそ自分は磨かれていくのだと思う。自分の可能性に上限をつけないで、何にでも果敢な姿勢で立ち向かって行く。 Because I never know until I try!

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