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同窓生インタビュー

NIC Interview 2007 SUMMER in U.S.A. 厳しさの先に、夢がある、海外進学
三隅 麻里子さん NIC第15期生 大検
カリフォルニア州立大学サンディエゴ校ジャーナリズム(07年12月卒業) Nortel Network Japanに08年1月就職予定
San Diego State University BA in Journalism


『家族』・『根性』・そして『意地』

「サンディエゴに来て、小児喘息が治ったんです(笑)。」と笑顔で語る麻里子さんは、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校ジャーナリズム学部の4年生。3年の時に、すでに就職先から内定をもらい、卒業まであと数科目を残すのみである。また、同時にサンディエゴ校の就職活動専門の日本人学生会(JAC)会長も務める。南カリフォルニア地域にある大学の日本人学生会とも連携し、学生の就職活動や大学生活のサポートも行なっている。

「ジャーナリズム学部は、全部のクラスが10〜20人の少人数で、授業がとても充実しています。」そう語る麻里子さんは、インターンシップとして共同通信のロス支社で半年働いた。「一番印象に残っているのは、去年アカデミー賞に同行させてもらって、レッドカーペットの横で取材が出来たことです。アカデミー賞は取材陣も全員フォーマルの衣装で参加しなければならないので、私もロングドレスを着て行きました。ジョージ・クルーニーとウィル・スミスはいい人でしたよ(笑)。」という彼女が撮影した写真が、実際に共同通信から世界に配信された。

このように書くと、麻里子さんがとても優秀で、なんの問題もなかったかのように思われるかもしれない。しかし、実は彼女が日本にいたときには、『不登校児』だった。

麻里子さんは、父親の仕事で、6〜10歳までをニューヨークで過ごした。ニューヨークにいた時から引きこもりは始まった。小学4年生で帰国したが、日本でもすぐに不登校になった。中学校も、ちゃんと通えたのは3年生の1年間だけ。高校は都内の私立女子高に進学。クラスの3分の1が帰国子女という高校で、英語コースだった。しかしそこでも不登校は続く。高校2年の10月に退学。高校へ通ったのはトータル10日間程度だった。

「気候も関係しているんでしょうね。ニューヨークもじめじめ、日本もじめじめだし。。。それに対して、サンディゴはなんといっても気候がいい。悩んでいるのがアホくさくなる(笑)。」

アルバイトをやりながら、NICの夏期講習に参加。そのアルバイト先で出会った先輩が現役のNIC生。いろいろ話を聞いて、NIC入学を決意した。「その人の出身校が地元でも有名な進学校だったので。ああ、ちゃんとこういう優秀な人が来ているところだったら安心だと思ったんです。」

NICに入学するも、不登校の癖は抜けず、とうとう2学期も終わりに近づいたある日、担任のダニー先生からは『もう来なくていい』。成績不良者のカウンセリングでは『3学期にオールAをとらないと修了できない』と言われた。そして3学期、無遅刻無欠席でオールAをとり、なんとか修了。

渡米後はサンディエゴの2年制大学、クヤマカ・カレッジに進学した。「のんびりした環境なので、勉強に集中できました。」そしてジャーナリズムで『いい大学』を探して、コロンビア大学、ミシガン大学、ミズーリ大学等を調べたが、最後はサンディエゴ校を選択した。
「本当は、コロンビアかミシガンに行きたかったんですが、授業料があまりにも高くて。。。 残った中で、ミズーリはやっぱりじめじめしているので、結局サンディエゴを選びました。今思えばコロンビアもミシガンも『ジメジメ』系なので、サンディエゴを選んでよかったと心から思います(笑)。」

「たまに日本に帰ってみたり、ニュースなどで日本の状況をみると、何か『精神欲を物欲で満たそう』としている感じ。だから限りがないんだと思います。もちろんアメリカもいろいろ問題はあるけれど、『自分の力で道を開く』という意味ではアメリカの方がましだと思います。」

『日本人だから、日本を良くしたい。』それが麻里子さんの夢。具体的には?と聞いたら、「とりあえず子どもを最低3人は産んで、少子化対策に貢献します(笑)。」
「子どものために働く、そしてそのことを子どもに伝えるのは当たり前のこと。親の背中を見て子どもは育つから。」そういう麻里子さんの原点は『家族』、『根性』そして『意地』だという。

「ずっと引きこもっていて、周りには『やれば出来る子』といわれ続けた。でもそれって『今はダメ』ってことじゃないですか。」母親は不登校児童の親のための講習を受け、妹弟も学校の先生に『お前の姉ちゃん、また休んでいるのか』と言われて、つらい思いをさせた。だからこそ、そう言った人々を「見返してやりたい。」 今までずっと家族に支えられてきた。辛いときも家族がいるから頑張れた。大変なときも「もっとできる」と思って頑張ってきた。

「『若いときの苦労は買ってでもしろ』って言うじゃないですか。でもそれって量よりも質の問題だと思うんです。私の場合、買わなくても『苦労』がどんどん舞い込んできた。だから自分にとって必要な苦労を選ぶことが大切かな、と思います。」

思い立ったら即行動という麻里子さんにとって一番チャレンジングだったのは南米チリに語学留学したことだったという。「アパレルの店員をしたいが為に片道160キロの道のりを通ったことも、共同通信のインターンの為にロスまで通い続けたことも、クヤマカ・カレッジとSDSUで日本人学生会を立ち上げたことも突飛でしたが、『新しい言語を学ぶ苦労と喜びを味わいたい』と思って行ったチリは、新しい出会いの宝庫でした。」
自分のフットワークは軽くして、常に新しいものへ飛び込む事が、為せば成る、の自信と思い立ったら即行動の原動力になっているのだという。

「日本だけがすべてじゃない」と、進言する麻里子さんに、取材後、サンディエゴのOld Townまで車で送ってもらった。別れ際に一言「不登校生の留学とか、私にできることがあれば何でも言ってください。どんな形でも協力します。」経験した人の言葉は力強い。

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