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(※柳さんは、神奈川の高等学校出身ですが、小6まで韓国で育ちました。ご本人の希望で海外枠に掲載しています)
韓国
柳 志勲 (りゅう じふん)
神奈川・私立 桐蔭学園高等学校

 ありきたりなことを書きたくはないが、NICという社会に一度染まってしまうと、結局は誰もが一つの結論に達するのだと思う。僕は日本の某私立大学に2年間通ったが、そこでは大学生としての自分の意味をみつけることはできず中退を余儀なくされた。しかしながら高等教育への思いは捨てきれなかった。日本での進学は興味をもてず、2003年の1月、母国でもある韓国の大学への編入試験を受けた。結果は現実の厳しさを知らしめてくれた。しかし、途方に暮れている時間もなかった。一刻も早く放浪生活に終止符を打たねばという思いがNICに引き合わせてくれた。留学は以前から興味があったせいもあるが、ある意味のやけくそ根性で日本を出ることを決意し、半信半疑でこのNICを受験した。入学して半年が過ぎた。今は留学の厳しさそのものに直面している。NICは決して甘くない。そしてNICに入れば留学できるという考えで入るのはやめるべきだ。大学中退というバックグラウンドがなければNICでの生活を続けられたか自信すらない。その一方で今までに見たことない自分に出会えた。それこそがNICマジックであり、今の僕がいる理由でもある。 


(※空地さんは、愛知の高等学校出身ですが、小1までブラジルで育ちました。ご本人の希望で海外枠に掲載しています)
ブラジル
空地 善次 (そらじ よしつぐ)
愛知・県立 小牧南高等学校

 大嫌いな東京に移り住んでから早半年とちょっと。まぁ、この人混みと汚さに慣れるわけでもなく僕は変わらずこの町が嫌いです。「この町って俺らに何も与えてくれないよな」。ストリートサッカーに向かう途中、ある友人が言ったこの言葉は正しいと思う。地元愛知を離れて、一人暮らし、この言葉の意味を考えると頭が変になりそうな時がくる。「何でここに来たんだろう?」おそらく地方出身NIC生は一度や二度この言葉が頭に浮かび悩み苦しんだと思う。俺もその一人だ。だけどここに来て強くなれたのは事実だと思う。人との関わりから色んな世界があることに気づくことができたからだ。下手に意地を張るのもやめたし、素直に色々受け入れてみるとものすごい速さで吸収し成長しているのがわかった。友達とは毎週俺の家で朝まで話している。みんな悩んでいるのが分かるけど、どうやら各々楽しんでいるようだ。まぁ、何が言いたいのかと言うと、ここに来てよかったという事です。今、どこに行っても生きていける自信はついたし、人との関わりも大切にできると思ってます。けど、東京はもういいや…。一年で十分です。


(※馬さんは、東京の高等学校出身ですが、6才まで中国で育ちました。ご本人の希望で海外枠に掲載しています)
中国
馬 聿寧 (ま いにん)
東京・私立 桜美林高等学校

 私が海外欄に載るのは、実は微妙と言えば微妙な所である。なぜならば私は六歳の時に日本に来て以来今日に至る迄日本で教育を受けたからだ。こうなると、日本語は勿論ネイティブに喋れるし、中身的にも完全に皆と相違なくなる。しかし、かと言って中国語を忘れてしまった訳でもなく、自分のルーツを考えなくなった訳でもない。そんな二つの文化の上に立っている私が、今度はアメリカという第三国を目指している。細かい理由は色々とあるが、やっぱり可能性を求めて、というのが大きな理由だろうか。この学校には日本各地から学生が集い、良い刺激を与えてくれているが、アメリカの大学には世界中から学生が集うのだ。それを思うと、今からとてもわくわくする。ここでの勉強は確かに相当に大変だ。普通の高校から上がってきた身には、ここの宿題の量はかなりこたえた。でも、そのうちに慣れて、時間を何とかやりくり出来るようになったので、その分成長したのではないだろうか。私は概して怠け者なので、こうして追い込まれないとやらないのである。さて、来年からはいよいよ本番だ。ここまで来たからには、自分で選んだ進路を全うし、やれる限り頑張りたいと思うのである。

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