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同窓生インタビュー

<2004年>
早川久美子さん NIC第2期生
カリフォルニア州立大学サクラメント校経済学部卒
葛飾区議会議員

Nothing Happens by Chance ! 〜私は全てを自然に受け入れる〜


早朝、下町の駅頭に立ち、自らの思いを叫ぶ。多くの人は素通りするかもしれない。でも、何人かは立ち止まり、チラシを手にとってくれる。今日もまた、その数人のために駅頭に立つ。
日本という国は「できの悪い子供」かもしれない。でも、だからこそより深く愛せる・・・。その思いには海外留学、そして現地での就職を通して自らが体験・実感してきたことがベースにある。
常に自ら行動を起こすことで、その存在意義を確かめようとしているかに見えるNIC2期生・早川さんからの熱いメッセージ!

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みんなやれば出来る。それを証明したい!

今、区議会議員になってから2年ちょっと過ぎたところです。昔から政治家を志して特別な勉強をしてきたわけでもなく、エリートでも二世議員でもない私が現在議員として活動しているワケは「この国、この街をもっと良くしたい!」という、その想いだけ。その手段の一つとして私は政治家という道を選び行動した。そんな私がみんなに言いたいことはただ一つ、みんなやれば出来るんだから行動を起こして欲しいということ。「どうせ・・・」とか「そうは言っても・・・」とか、みんな何かをやる前から諦めるんじゃなくて、アクションを起こして欲しい。そのとき大切なのは、好きなことをやるということ。損得で自分の人生の選択をしてほしくはない。世の中には「この会社に入るとお得そう」とか、「この人と結婚するとお得そう」とか、損得勘定で動く人が多い。でもそんな人の大半が後でこう言う。「こんなはずじゃなかった・・・」と。そうならないためには、自分が「好き」な気持ちを大切にして選択をすることが大事。そうすれば、どんな事が起こったっても乗り越えられるから。私は議員になってからも、会社勤めの時代も、留学時代も色んなことを、あることないこと言われ続けてきました。でもそれは私がアクションを起こし続けてきたから起こったこと。私は好きなことをやっているから、何を言われても受け入れられる。何もせずに、色々言っているだけの人よりはマシだから・・・。 

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建前がまかり通る日本社会で、自分の思うとおりに突き進む。その過程では言われなき誹謗中傷など、ときには耐えられないこともあるかもしれない。でも早川さんは怯まず自分を貫き通す。それは留学前から自分に正直に生き、そして行動を起こしてきた実体験が基になっている。
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昔はやりたい放題でした

中学・高校時代はとにかくヤンチャでした。バブル全盛期だったということもありますけど、遊びまくって机に向かうことなんてありませんでした。親が学校に呼び出された回数は数え切れない程。当時の私は勉強の出来る人というのは、もともと頭のいい人だと思っていたんです。だって学校から帰れば楽しいことがたくさんある!勉強なんてみんなしてるわけないジャン?って感じでした。同時に、私なんて勉強したって、どうせ無理だって決め付けていました。でも高校3年生になってから、大学に行きたいと思って勉強を始めたんです。そうしたら意外に成績が上がったんですね。「なんだ、私でもやれば出来るんだ」と思って、ちょっと自信がついたんです。日本の大学数校とアメリカの大学の日本校をNICを含めいくつか受験しました。受験の日のお昼休みは他の受験生とランチに行くことが多かったんですがNICの受験生は他の大学の受験生と比べものにならない程自分の考えを持っていたことに驚かされました。だから受験前より受験後の方がはるかにNICに入学したいという思いは強くなりました。日本の大学も何校か受かりましたが、私の頭の中にももうNIC以外には考えられませんでした。 


“勝ちパターン”を確立した海外時代

渡米後は今振り返っても本当によく勉強しました。試験前はテンションが高くなって鼻血が出てしまうほど・・・。今では考えられないですね。当初はサクラメント・シティー・カレッジの秘書科に入学しました。2年間という短期間なら何かスキルを身に付けた方がいいと思ったのが理由。両親には短大を卒業したら帰国すると約束していたんですが、どうしてももっと勉強したくてカリフォルニア州立大学に編入することにしたんです。それを聞いた両親は猛反対。「約束が違う!」って。もともと留学自体に反対していた両親でしたから。でも当時の私は日本食レストランでのウエイトレスや日本人駐在員の子供の家庭教師のアルバイトをしていたので、とりあえずはそのお金でやりくりしました。その後は両親がサポートしてくれましたけど・・・。
アルバイトをしていたのは気分転換のためでしたね。私は何時の間にか勉強の虫になっていたんです。パーティーとかに行っても「ああ、この時間に勉強すればもっと成績がよくなる」とか考えるような感じだったので、アルバイトをすることで、その時間だけは強制的に勉強から離れられるという・・・。
大学3年に編入した頃には勉強のペースも掴み出し、いろいろな事にも挑戦しました。 
アジア人には難しいといわれるチアリーダーもその一つです。選出は大学内で選挙があるんですけど、みんな選ばれるためにあれこれ知恵を絞る。人数の多いクラスを取ったり、スピーチのクラスを取ったりして、自分をアピールする。事前に計画を練ることの大事さを身にしみて感じましたね。また日本に居た時からパーティー大好きっ子でしたから当時5人で家を貸りて住んいたハウスメイトとDJや照明設備手配、パーテンダーも雇って300人規模のパーティーを家で開いたりして。最後にはあまりの人が住宅街の一家に集まり過ぎてパトカーは来る、ヘリコプターまで飛ぶ大騒ぎ。「遊び」ですが企画から手配、集客までやったことは、今となってはいい思い出です。 
それから卒業後の2年半、アメリカに残って働いたことも貴重な体験になりました。当時はよくみんなが就きたがった日米間の掛け橋的な仕事ではなく、ネイティブのアメリカ人と同等の仕事をしたいと思いました。就職活動のときはアメリカ人向けの就職フォーラムも積極的に参加したりしました。そして、あるパーティーで通信会社の部長に名刺を貰い、その人に手紙を出しまくったんです。新聞や雑誌の記事から情報通信に関連したトピックを選び、自分の考えを書く。「私ならこうする」「このように対処する」みたいな。2ヶ月で100通くらいの手紙を書いたでしょうか。相手にしてみれば「何なんだ?」という感じだったかもしれませんけど、そこまですれば思いは通じるというか、面接に漕ぎ着け、最後には採用してもらいました。実はこの会社、一般募集時には書類審査も通らなかったところなんです。敗者復活ですね。
アメリカ人は残業しないとよく言われますがそんな事はない。皆毎日遅くまで働いていました。私も例外なく当時はウォークフォリックでした。
留学、就職を通して、自分に自信が持てましたね。自信を持って諦めずに行動すれば必ず結果はついてくるということを実感できたこと。これは大きかったです。


帰国後の会社員時代に感じた日本の冷たさ

就職して2年を過ぎた頃、だんだん日本のことを考えるようになりました。アメリカでも色んな人が「日本は・・・」って言いますけど、どれだけ日本のことを知っているのか・・・と思いつつ、私自身も10代で渡米したので日本の実社会を体験していないということに気づいたんです。今度は日本で自分を試したい、日本に帰ろうって思いました。
帰国後は外資系企業で働いたりして最終的に落ち着いたのは、日系玩具メーカーでした。私にとっては初めての日本企業です。その会社を選んだ基準は、トレンドに流されるのではなく定番商品を磨き提供しつづけているという姿勢でした。昔の私はトレンドばっかり追いかけていましたから、その反動だったように思います。  
その会社でも一生懸命働きました。でもその分、色んな障害にもぶつかりました。正論が必ずしも通じない組織の論理、日本的な人間関係・・・。そして一人ではどうしようもなくなり警察や行政に助けを求めたときの冷たい壁。弱者に冷たすぎる現実を知りました。そのときの怒りは会社ではなく行政に向かいました。私は強いから声を挙げて叫べる、しかし私みたいな経験をした人の多くは泣き寝入りなんじゃないか!って。切なかったです。そして、文句だけ言っててもしょうがない。私が変えよう!と思ったんです。実際に選挙に立候補したのには、それだけではなく色んなきっかけがあったのですが、この自分が弱者として経験したことが一番の土台になっていると思います。
当選してからの2年間で、ストーカーやDV(ドメスティック・バイオレンス)に対応する窓口を充実させてきました。でもこれはあくまでもハードに過ぎません。本当に大事なのはソフトである教育だと思っています。人が変わらない限り、こういう問題はなくならないですよね。だから今は教育改革に力を入れています。


この世に偶然はない

私には一緒に色んなことを熱く語れる仲間がいる。何かある時に受け止めてくれる仲間。そして彼等に何かがあれば受け止めたいと思える仲間です。 それは私の大切な財産。選挙のときもむかし一緒に無茶なことをした仲間たちがボランティアで支えてくれた。そんな素晴らしい仲間を得ることができたのは、決して私の運が良かったからではないと思います。すべて行動を起こして初めて得られたもの。 
Nothing happens by chance. この世に偶然はない。すべて必然的に起こるべくして起こる。良い事、悪い事も全て必然だと感じます。私は何か困難に見舞われたとしても、それをすべて自然に受け入れ、「いま私は試されている」と思い逃げずに立ち向かいます。辛い事から目を反らすことは簡単だけど、それを乗り越えることで自分の人生が広がり今後の心の支えになるということを今迄の経験で知ったから。
いつも「自分は何のために生まれてきたのか」と考えます。今はそれが議員という手段で行うことが最短だと思うので議員をしているけど、この議員という仕事に特別固執するつもりはありません。私より知識があり優秀な人はたくさんいます。ただ行動していないだけ。それが悔しい。「どーせ、自分は二世じゃないし」「お金がないと選挙に勝てないし」・・・。そんな事をよく耳にします。でもそんなことは絶対にない!地盤、看板、鞄のない私が行動しているところを見て「あいつに出来るんなら、自分にも出来る!」そう思ってくれる人が出てくれば嬉しい。
これから私の周りで何が起こるかはわからないけど、常に人との出会いを大切にし、「好き」という基準で選択をし、何ごとにも目を反らさず行動していけばそこから自ずと新たな道が開けてくると思っています。私はこれからも自分と真直ぐに向き合っていきたいと思います。

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世の中、もっともらしいことを言うだけで何もしない人で溢れている。実際に行動を起こしている人から見れば、そんな人の言うことには何の重みも感じられない。行動を起こせば、それに反発する人も出てくる。でも、それは自分が行動を起こしたからこそ出てくるリアクション。それを受け入れ、より良い行動へと発展させていけばいい。
インタビューの間ずっと熱く語りつづけた早川さんの発散させるエネルギーは、かつてのヤンチャ時代を彷彿させる。でも早川さんは「ヤンチャ娘が今では議員」のような単純な面白おかしい図式で見られることには少し反発心を覗かせる。そこには、いつまでも常識に囚われて行動を起こさない人たちの「ガス抜き役」では終わりたくないという気持ちが感じられた。みんな屁理屈言ってないで行動を起こせ!早川さんに続け! 
<インタビュー・構成:スピード&プライド 佐島明夫>


早川久美子オフィシャル・サイト : http://www.hayakawa-kumiko.com



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