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同窓生インタビュー

<2003年>
岩澤亜矢さん NIC第7期生 神奈川県・県立上郷高校出身
ニューヨーク市立大学バルーク校経営学部会計学科卒
EOS会計事務所勤務(ニューヨーク) 米国公認会計士


大切なのはインディビジュアリズム!
小さいころから日本の教育に疑問を感じていたのは事実です。日本の教育では、自分の意見を主張するのはあまり好ましくないこと、という暗黙の了解がありますよね。印象的だったのは、小学1年生のとき。授業中、先生が間違っていると感じたので「先生、本当はこうなんじゃないですか」と思ったことを素直に発言したら、先生にひどく叱られて。なぜ思ったことを言うと叱られるのだろうと、幼心に不思議に思ったことを覚えています。学校教育の入り口からその状態でしたから、中学でも、高校でも、意見を言わないことが正しい態度のような学校の雰囲気には、結局慣れることができませんでしたね。ただ小学3年生からはじめたバスケットは、高校に入ってからもずっと続けていたので、むしろ勉強よりバスケットに熱中していたといえるでしょう。あらためて考えると、そうして打ち込んできたものがあったおかげで、アメリカに留学したいという気持ちも、より強くなったと思います。バスケットは、もちろんアメリカがNo.1ですし、音楽もずっとアメリカの音楽ばかりを聴いていたので、自分でもだんだん「アメリカに行かなくちゃいけないんじゃないか」と思いこむようになっていました。

文化や音楽を通して、自分にはアメリカという国が合っていると感じただけでなく、小学生の時から英語を習っていて、英語が大好きだったことも、大きく影響しています。もともと、私のなかに日本の大学に行くという選択肢はなかったのですが、ただ、自分の将来を真剣に考えたときに、高校を卒業してすぐ就職するより、もっといろいろ学ぶ必要があるとは思っていました。そこでさまざまな可能性を考えるうちに、好きな英語で学ぶ“留学”という方法があると気づきました。そこから大学のシステムなどを調べていくうちに、NICを知ったのです。両親に自分の思いをはじめて話したときは、とても反対されましたが、「私に何ができるか、自分が一番わかっているから、信じてほしい」と話し、結局2年間だけ学んで帰ってくるという約束で、認めてもらいました。

NICは私にとってすごく居心地がよい場所でした。心から入学してよかったと思いましたし、とても感謝しています。生まれてはじめて、目指しているものが同じ仲間とともに学ぶことができ、モチベーションを高めるためには、とても良い環境でした。クラスの内容は、レベルによって全然違うのですが、私の場合はリサーチペーパーをやらせてもらったり、ディスカッションもディベート的なことに取り組んだり、かなり恵まれていたと思います。おかげでアメリカに来てから1度もESLを受けずに、普通に大学の授業を受けることができました。当時のクラスメイトの中には、もちろんいまでも交流が続いている友人もいます。思えば、高校より以前は、夢を語り合うのは恥ずかしいことだったり、妙に冷めていたりする人が多かったけれども、NICで出会った人たちはみな自分の夢に前向きで、その実現を真剣に考えている人たちばかりでした。お互いに「あなたはこういうところがすばらしいよね」ときちんと認めあえることができて、なんだか日本人らしくないというか(笑)。

留学先を決めるときに考えたことは、まず向こうに知り合いが1人もいなかったので、寮があるということが第一の条件でした。それから希望は、あくまでニューヨーク。NICのカウンセラーの方には「初心者が、いきなり東海岸に行くのはすすめられない」と言われたのですが、「大丈夫です」と言いきって、ニューヨーク州の片田舎にある大学を選びました。ニューヨーク市に行きやすい距離にあって2年制大学で寮がある、という条件で探せば必然的にそうなるという見本のような選択でした。

もちろん希望の専攻(国際関係学)があったことも理由のひとつではありましたが、やはり田舎町は1年しか耐えられなくて、1年後にはニューヨーク市立大学に移籍しました。そのとき、専攻をもう少し具体的にしたほうがいいと思い、国際経営学に決めました。こうしてニューヨーク州の田舎から、ニューヨーク市にある2年制大学に1年、さらにその後、ニューヨーク市立大学バルーク校の経営学部では、専攻を会計学に絞りましたので、全部で3つの大学に行き、専攻もその都度変えたことになります。これもアメリカの大学の際立った特長だと思うのですが、専攻はもちろん、他大学への編入が何回でもでき、学校を変えても、取得した単位を比較的移籍しやすいシステムができているんです。私は留学当時、自分が本当に何をやりたいのかまだ絞りきれていなかったので、無理やり何かに決めたくないという気持ちがあり、その意味でも、多くの可能性が用意されているアメリカのシステムに強く魅力を感じました。高校を卒業した時点で、自分が本当にやりたいことは何か決められる人は少ないと思いますが、アメリカの大学ならそれを探しながら途中で方向転換もできるからです。

もちろん、苦労もいろいろありました。サマーブリッジプログラムに参加した時点では、英語は全然問題なかったのですが、ニューヨーク州に行って最初の3ヵ月は、周囲が何を言っているのかまったくわからなくて。NICのカウンセラーの方が「はじめてで東海岸は避けたほうが無難」と言っていた理由がそのときよくわかりました。やはり東海岸のほうが独特のアクセントなどがあり、最初の頃はクラスメイトに「アヤは静かだね」なんて言われていました。3ヵ月経ってようやく耳が慣れたころ、急におしゃべりになったので、みんなびっくりしていましたね。それから最初に言った通り、私は2年制で卒業する約束だったので、4年制に進みたいと両親を説得するとき、自分でも学費を負担することになり、働きながら学校に通うことになったのも苦労と言えば苦労でしょうか。

インターンシップでは、ニューヨークにある会計事務所に2ヵ所と、日系企業の経理のアシスタントを経験し、そして4ヵ所目の会計事務所で本就職をしたわけです。結果的には、よいステップになりましたが、学生の間は仕事に勉強に忙しく、特に最後の年は多忙を極めました。でも、そんなとき、いつも友人がいてくれて精神的にずいぶん助かったことを覚えています。それはアメリカに来て一番恵まれたことですね。

友人はほとんどアメリカ人でした。最初に通った2年制大学でも、日本人は日本人同士、固まってしまう傾向が強かったのですが、私は寮のルームメイトととても仲良くなり、彼女たちを囲んで友人の輪が少しずつ広がっていきました。そういう意味では寮生活を選択したことも、留学生活を充実させるうえでよかったと思います。ニューヨーク市に来てからも、長く交流を続けている友人もたくさんいますし、困ったときは何でも相談にのってくれるような頼りになる関係を築くことができました。友人たちは「あなたは自分の人種とか生まれた国を誇りに思っていて、そういうアイデンティティーをちゃんと持っているから好きだ」と口をそろえて言います。結局アメリカの人たちから歓迎されるのは、アメリカナイズされることではなく、自分のルーツを忘れないで、大事にする人なんです。それから、他人の目は気にしないで、自分の意志を大事にする。そういう人が尊敬されると思うんです。他人と自分を比べて嫉妬したり羨んだりする時間があるなら、その分、勉強したほうがいいですね。最も重要なのは、英語で言えばインディビジュアリズム、つまり自分が個人だという自覚を持つことであり、ほかの誰でもない自分なんだという意識を持って生きていくことです。英語が上手に話せると便利ですが、それよりも自分をどういうふうに表現するか、そのほうが大事だと思うんです。英語が下手でも尊敬される人はされますから。

ニューヨーク市での生活はとても楽しかった。ずっとずっと憧れていた街は、本当に文化が豊かで、歩くところ、行くところ、どこにでもアートやカルチャーが転がっています。例えば、学校に行く途中の地下鉄のなかでストリートパフォーマーたちがいきなりラップを始めたり、ダンスを始めたり。それがまたかなりレベルが高くて充分に楽しませてくれるんです。だから、私のように音楽が好きな人には本当に最高の街ですね。友人やルームメイトにもミュージシャンやアーティストがたくさんいました。キーボードを弾く人、シンガー、ギタリストなど、どんどん友人がふえて、家に呼んでみんなでパーティーをしたり、ときには家族ぐるみで遊んだり。彼らのショーを見にいったりしたことも素敵な思い出です。

現在の仕事は日系の中小企業向けの監査と、法人所得税、申告書の作成、それから会社がスタートアップするときのアドバイスなどコンサルティング的な内容まで業務範囲はとても広いです。お客様も規模の大小はもちろん、業種でみても銀行からエンターテインメントまで、本当にさまざまです。仕事はおもしろいですよ。大きな会計事務所では、たぶん仕事を部分的にしか担当させてもらえないのですが、この会社はそこまで規模が大きくないので、ひとりひとりの仕事の範囲が広く、手応えがあります。基本的には、自分の仕事さえちゃんとこなせば誰も何も文句言いません。だから逆に自分の責任は重く、完璧にこなすための努力を求められるので、つねにプロフェッショナルでありたいと思っています。

CPA(米国公認会計士)は就職して1年で取得することができました。最初は、とても難しい試験だと思っていたので、あくまで自分の夢の1つでした。でもゴールを決めたら、あとは具体的にどうすればそれが達成できるかを考え、計画の通りに実行するだけ。そうすれば必ず夢は実現します。それもアメリカで学んだことのひとつですね。試験のためには、勉強して、すごく勉強して、並大抵じゃなく勉強しました。例えば、過去に出題された問題が全部載っている、ぶ厚いテキストが4教科分あるのですが、私はそれを全部、最初から最後まで解いていくことを繰り返しました。そのとき心がけたことは、ただ流してやるのではなく、きちんと理解しながらひとつひとつ進めていくこと。そして間違えたときは、なぜ間違えたかをはっきりさせるようにしていました。それから勉強すると決めたら先延ばしにしないでやる。そういう意志の強さは必要です。この試験は何年でも受けられるので、10年、20年受け続けている人もいます。でも、何となくやっていては合格できないし、何も達成できないと思います。このときの努力は現在の仕事にもつながっていて、ひとことで言えば同じ間違いは2度としないということです。これはアメリカに限らないことかもしれませんが、社会で信頼を得ていくための具体的なアドバイスです。同じ間違いはしない、それに尽きます。

実務経験を積んだら、実は日本へ帰ろうと思っているんです。こちらの人にネイティブだと勘違いされるぐらい、私自身こちらの社会が好きですけれども、それぐらいなじんでいるからこそ、日本に帰って何ができるのか試してみたいというのもあるんです。親友のお父さんにも「アヤみたいに海外で勉強した人が日本に帰ってこないと、日本はよくならないんだよ」とよく言われます。留学して当初は、その言葉の意味が全然わからなかったけれど、7年経ったいまは、それが身にしみています。こちらで学んで働いて、日本に何も持ち帰らないのでは、経験が生かされないのかもしれない。海外で経験したことを、きちんと成果として完了するには帰るべきなのかなと思っています。それから、やはり家族は大事だなぁ、と思いまして。

アメリカでの大学生活は、私のなかで、ある意味理想に近かったと思います。経済的にも時間的にも制約が多いなかで、精いっぱい勉強し、遊び、友人を得て、その場その場で自分のこと、自分の未来に集中することができたから。アメリカでは、誰かになりたがっている人は誰からも尊敬されません。日本の文化や、自分が日本人であることを誇りに思って学んでほしい。英語は完璧に話すけれども「あくまで日本人」というのが、こちらで成功し、パーソナルライフを充実させる秘訣だと、私はそう思っています。

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