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同窓生インタビュー

<2003年>
本山美穂子さん NIC第7期生 秋田県・私立秋田和洋女子高校出身
ネバダ州立大学リノ校教養学部心理学科卒,、教育学部教育心理学修士課程卒
(米国フロリダ州)スクール・カウンセラー


相手の立場や意見を尊重しながら、自分の意志を通す!

高2の冬に、アメリカに2週間ほどホームステイする機会があり、サンディエゴからの帰りの飛行機の中で“今度はちゃんと留学したい”と思ったのが最初でした。帰ってきて親に「すごく楽しかった。また行きたい」と言いましたが、自分でも、どうやって行くかはあまり考えていなくて。両親は両親で、私は小さいころからやりたいことが毎日変わるような子だったので、本気で言っているとは思わなかったようです。私のなかではそれからもずっと留学への希望があり、高3になって進路を決定するとき留学という選択が急浮上しました。

NICにいたときは演劇にも興味があって、大久保にあった劇団に入っていました。プロをめざすような集まりではありませんが、何度か公演もあって、とてもいい経験をしたと思います。アルバイトもしていたので、学校が終わってからはバイトに行くか、劇団に行くか、1日交代という感じでした。もちろん勉強は大変でしたが、やり方によっては両立もできるんですね。たとえば学校が終わった後、バイトに行く前に2、3時間ぐらい時間があくので、そういう合間に宿題をやって、それからバイトに出かけたりしていました。

渡航先はリノです。専攻はアメリカに行ってから、よく考えようと思っていました。何か、私がやりたいことがそこにあるかもしれないという期待をもって、アンテナだけはつねに張って。

じつは私、リノに行ってから1週間ぐらいして足首を骨折したんです。その日は、留学生全員がローラースケート場に招待されていて。最後にリンクから降りるときに、足首をひねったという感じで転んだのですが、そのときは足を折ったなんて思いませんでした。でもすごく痛くて、みるみるうちに腫れてきたんです。学校のヘルスセンターでレントゲンを撮ってもらったら、足首が折れていると言われました。その後は、大変でしたね。3ヵ月ほど、松葉杖をついて学校に通ったり、来たばかりだから友達もいろいろなところに遊びに行くわけですが、松葉杖ではちょっと厳しくて、私だけ寮に残ったり。でも、いま思うとそのおかげでアメリカ人の友人も増えたので、いい思い出かなと思います(笑)。友人もいろいろ助けてくれましたし、そういうときだから本当にありがたいと思いました。アメリカ人もとても気さくで、私が松葉杖で歩いていると何気なくドアを開けてくれるんです。日本だったらあまりそういうことはないと思いますが、ただ会っただけでも話しかけてきてくれて、本当は結構辛かったんですけど、まわりのみんなには気分的にも救われました。

教養課程の間にもいろいろと興味の方向が変わり、2、3回専攻を変えたりもしました。が、最初におもしろいと思った心理学を学ぶことに決め、2年生からは心理学一本でいきました。まず心理学の全般的な知識を学んでから、たとえば高齢者の心理を中心に学ぼうとか、将来赤ちゃんや子どもと働きたい人は幼児系のクラスをとったり、身体障害者のケアをしたいと思ったらそういうクラスをとったり、自分の興味の方向にあわせてジャンルを絞っていくわけです。私はあまり決め込まずに、全部を少しずつ学んだのですが、いずれにしても大学4年間では、まだまだ基礎レベルで、アメリカでは、大学院を出ないことには働き口もありません。私も日本にいたときは大学院に行くなんて考えてもいませんでしたし、お金もかかることなので、親も「そろそろ帰ってきたら」と言いました。特に母親は心配する気持ちの方が強かったのか“大学院で勉強したい”と言ったときはびっくりされましたね。父親は何とか賛成にまわってくれたのですが、母親からは『大学院に行くのなら学費もなにも全部自分で払いなさい』と言われました。母親にしてみれば、そう言えばあきらめて帰ってくるだろうと踏んでいたのかもしれません。でも私はどうしても大学院に行きたかったので、やるだけやってみようと思ったんです。いくつかの大学院へ応募し、通い慣れたリノからも合格通知をもらって、まず学校は決まりました。さあ後は学費だけだと思って、いちかばちか大学院の教授に何か方法がないか相談してまわったんです。そうしたらラッキーなことに、1人の教授があるプログラムを紹介してくださいました。「ここに応募してインタビューに行ってみたら?」と言われて、行ったところ、次の年から使っていただけるということになり、そこで働くことが条件で学費はほとんど免除ということになりました。結局母親も「そこまでやるんだったら」と、生活に必要な費用などは援助してくれることになりました。

そのプログラムは“Upward Bound Program”といって、成績は良くても家が貧しいために就学の機会に恵まれない中高生をサポートするものでした。彼らにいきなり「大学で何を勉強したい?」と聞いても、そもそも大学に行けるなんて思ってもいないから、答えようがないんですね。すごく賢い子たちなんだけど、環境のせいで自分に自信がもてない人がたくさんいて、誰かが「君にもできるんだよ」と教えてあげる必要がある。そういう高校生と週1回、1時間ほど話をして、いま高校でどういうことをやっているのか聞いたり、大学に行くにはどんなクラスをとったらいいのか一緒に考えたり。職業の適性診断のようなものを紹介して、たとえば看護の仕事に向いているとなったら「実際に病院に行って観察してみようか」と手続きをしてあげることもありました。それで「やっぱり嫌だった」と言われたら、「いま、ひとつ嫌だというのがわかってよかったね。じゃあ、何か違うことを探してみよう」という感じで、縮こまっている彼らの将来をひとつひとつほぐしていくような仕事でしたね。年に2、3回いろいろな大学を見学する旅行に連れ出したりもしました。そうしていくうちに少しずつ“自分にもこういう将来があるんだ”と自分で思えるようになっていく。夏には合宿があって2か月一緒に暮らしたこともありました。とても楽しかったし、やりがいも感じていたので、いまの仕事を選んだのは、このプログラムに携わったことがかなり影響しているのかもしれません。

大学院を修了して、さあどうしようかというとき、いまの夫が(そのときは彼が)スキューバダイビングに興味があって、フロリダあたりに住むのはどうかと。私もそろそろネバダは飽きていたし、海の近くに住むのもいいかもしれないと思いました。いまでも冗談で話すんですけど、地球儀を回して、目をつぶって指さしたところに行くような感じでした(笑)。フロリダは気候もいいし、なんとかなるさと、仕事も決めず、荷物はすべて車に詰め込んで、3,000マイルのドライブに出かけました。

出発前に、フロリダの、日本でいう不動産屋さんと連絡をとっていて『フロリダについたら寄ってくれ』ということになっていたので、行ってみると、すぐいろいろなアパートや一軒家を見せてくれました。そのなかに小さいけれど、海から30メートルも離れていないアパートがあり、そこに半年ぐらい住みました。でもフロリダの賃貸住宅にはシーズンがあって、冬になると家賃が倍近くに跳ね上がるんです。そのころには仕事もずいぶん慣れてきたので、それならということでコンドミニアム(分譲住宅)を購入しました。いまは少し海から離れてしまって、それがちょっと残念かなという感じですけど。

フロリダについてまもなくでしたが、新聞を見ていたら、たまたまその学校がスクールカウンセラーを求めているという記事が出ていて、すぐに履歴書やプロフィールを送ったところ、運よく雇っていただけました。私が働いているところは、私立の学校で、じつにさまざまな生徒がいるんです。国籍も、コロンビア、ベネズエラ、チリ、ブラジルなど南米を中心に、ドイツやアフリカから来ている生徒もいます。日本人も1人いましたし、中国や韓国から来ている人もいました。だから本当に国際感覚あふれる感じの学校です。

仕事は、山ほどあります。小さなことでは友人と喧嘩してしまったとか、親と喧嘩をして家に帰りたくないとか。そういう些細なことから、もっと発展すると家庭内暴力とか、警察に依頼しなければならない事件もあります。そういう事件があると、いま手がけている仕事を全部放り出してでも、そちらにエネルギーを注がないと、取り返しがつかないことになるので、その日にやろうと思っていたことが全然できないで終わってしまうこともよくあります。それから日本ほどではないにしろ、こちらでも受験戦争で疲れている子はいます。この学校の生徒は、ほとんどが進学を希望していますが、なかでもハーバードなどの名門校に進みたいと思っている子は、いろいろストレスがあるなかで勉強していますので、そういう心の苛立ちをケアしたりすることもあります。また、アメリカの離婚率はいま50%を越えているので、親の問題で困っている子も珍しくありません。流行りの過食症とか拒食症など、心の病を抱えている場合は、親と話をして医療機関にかかるようにすすめたりもします。成績が悪い子の場合には、先生と生徒と親と私の4人が一緒に集まって、どうやったら成績が上がるかとか、私たちが助けてあげられることは何か、ミーティングをするとか。こうしてあげていくときりがないほど、何から何まで面倒をみているような日々ですね。

そういう目まぐるしい日々を送っていると、仕事に対する考え方も変わってきます。もともと私は、この仕事には人の痛みがわかって責任感の強い人が向いていると思っていましたが、いまはちょっと違って、仕事とプライベートをしっかりとわけ、自分の生活を楽しめるような、切りかえが早い人でないと長くは続かないのかなと思っています。学生時代にはそこまで考えることはありませんでしたから、まだまだ現場で学ぶことはたくさんあります。

最近日本の友人と話したときに、日本でも学校カウンセラーの働く場が増えていると聞きました。私が高校生のころは保健の先生が(身体の健康だけでなく、心の悩みも相談できるという意味で)スクールカウンセラーのような仕事をされていて、それから、少し問題が大きくなると生活指導の先生が登場してくる。進路相談も日本では教員がやっていますが、アメリカではそれも全部スクールカウンセラーの仕事です。そういう学校でのさまざまな問題解決を一手に引き受けているのが、アメリカにおけるスクールカウンセラーの役割なんです。

これから将来を考える皆さんへのメッセージとしては、少しでも興味を持ったことがあるなら、怖がらずに、人がどう思うかなんて気にしないで試してほしいということです。自分のやりたいことならがんばれるだろうし、逆にそこで自分をしっかりと持たないと要領のいい人に使われてしまいます(笑)。自分を持つということは、相手の立場や意見も尊重しながら、自分の思っていること、やりたいこと、欲しいものを上手に表現できるということ。こう言うと、とても難しいことのようですが、それはきっと人生をハッピーに過ごす大事なポイントだと思います。

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