◆起業することが夢


サンタモニカカレッジにいた時に、経済学の授業で株式投資のシュミレーションをクラスで行いました。シュミレーションのソフトウェアを使って、ニューヨーク市場に上場している企業を自分で選び、株を買うというものでした。そのクラスでなんと1位をとることができ、それで経済やビジネスに興味をもつようになりました。

現在サンフランシスコ校の最終学年で、観光学の分野であるレクリエーションビジネスを専攻しています。この専攻では800時間のインターンシップが義務付けられているのですが、今年の夏に、サンフランシスコにあるHISで実習をやりました。今の夢は、自分の会社を興して経営者になることなんですが、今はその夢に向かって日々まい進中です。

レクリエーション学科は、とても実践的で、今も外にリサーチやインタビューに行くことが多いです。評価方法もテストだけでなく、レポートやプレゼンテーションなども総合的に評価されます。インターンシップも卒業単位に含まれるので、実社会に出る前に、実際のビジネスを体験できます。

◆NICの1年間が一番大変だった。

高校時代はバスケット部と登山部に属していました。登山部では近くの赤城山とかに登っていました。

NICのことは高1の夏休みにはもう受験すると決めていました。それで両親に相談したところ、父親は無視、母親は笑って「お前には無理だろう」のひとこと。高校時代は英語が一番の苦手科目だったので、両親にとっては「何をとぼけたことを言っているんだ」くらいのことだったと思います。

高2になる前の春休みにサンディゴで2週間ホームステイを経験し、それから英語の勉強にも本気で力を入れはじめ、成績も急激に伸びていきました。その様子を知ってか、最終的には両親も賛成してくれました。

高校時代は、進学校でしたが、そこそこ勉強すればいい成績がとれていたので、気持ちがだれていました。僕自身も周りとはすこし違う感じがあり浮いていたような気がします。一方でNICでの1年間はとても居心地がよく、勉強も、怠けていたら絶対についていけないし、皆がそれぞれの目標に向かって頑張っていたので、「絶対に彼らには負けられない」というポジティブなライバル心をもつことができました。

よく、挫折とか苦労とか、アメリカで経験したことを聞かれるのですが、大変だったといえばNICでの1年間が一番大変だったと思います。NICで一生懸命勉強したので、アメリカに来て勉強面で苦労したことはほとんどありません。

◆器がでかくなった。

アメリカに来て器が大きくなったと思います。自分が日本人であること、アジア人であることを体で理解し、マイノリティ(少数派)であることを認識して、アメリカ人や他の国の学生との価値観の違いを理解し、他の人にも寛容になったと思います。よく言われることですが、今は、仕事や課外活動を通じて社会人の方々と交流する機会も多いので、それも大きく影響しているのだと思います。

◆「Be Hungry」

今日本ではフリーターが増えていると聞きます。もちろんアルバイトの収入だけで生活することもできると思います。でも本当にそれでいいのか、ということを考えてほしい。今、この大学で公式野球部のコーチをやっている日本人の方がいるんですが、その方はもともと野球部のスカウトで、選手としてサンフランシスコに来たんです。選手選考の過程において残念ながら選手からは漏れてしまいましたが、大学側の要請でコーチとして働いていらっしゃいます。彼が私に言ってくれたことは、「Capacity(許容範囲・能力)が10の中でできることは10しかないかもしれない。もし3+8=11だとしたら、10を超えているからといってあきらめるのか。もし11になるんだったら11やってみればいい。そうすればCapacityは11になる。」

 どんな道に進むにしても貪欲になること。それが僕の言葉「Be Hungry」です。
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