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同窓生インタビュー
<2004年>
坂下洋介さん NIC第13期生 北海道立釧路湖陵高校出身
カリフォルニア州立大学チコ校社会科学部経済学科卒
三井物産株式会社勤務
「環境が変わっても、自分が変わろうと思わなければ、何も変わらない」
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生まれも育ちもずっと釧路。「北海道に生まれ北海道で生きる」のが普通という環境で18年間を過ごしてきた男はしかし、高校卒業と同時に故郷を飛び出しNICに入学。そしてカリフォルニア州立大学チコ校へと進学し国際経済学を専攻。3年間で無事卒業し、今では三井物産で海外赴任に備えて国際ビジネスの基礎習得に励んでいる。
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◆もともとは通訳志望
「この6月から入社してちょうど2ヶ月たったところです。毎日忙しすぎて寝る暇もないですね。いつも夜12時まで仕事。独身寮に帰って寝るのが3時。8時半には出社です。でも早く仕事を覚えて海外に出たいので、そんなに苦ではないですね」 はやくも超ハードな商社マン生活にどっぷり浸かっている感のある坂下さん。そんな国際ビジネスの舞台で活躍する商社マンを目指して海外進学を決める学生は多いが、坂下さんの場合、むかしから商社マンを目指していたわけではない。 「高校の頃は通訳になろうと思っていたんですよ。中学のときの英語の先生の影響で洋楽を聞くようになり、英語の面白さに気づいたんです」 しかしNIC、そしてカリフォルニア州立大学で学んでいる間に少しずつ考え方が変わってきたと言う。 「最初はコミュニケーション学を専攻したんですが、ちょっと想像していたのとは違ったので心理学に変更しました。でも色々考えていくうちに、通訳を仕事にするのではなくて、自分が仕事をする上で自分で自分の通訳をする、つまり国際的なビジネスに興味の方向が変わっていったんです。なので最終的には国際経済学を専攻することになりました」 色んなことを学びながら、自分が本当にやりたいことを見つけていくプロセス・・・。アメリカの大学はそんなプロセスを踏めるように学部変更が容易になっているが、坂下さんはまさにその仕組みを活用したのである。
◆「わからない奴だから採った」
そんな坂下さんは今、日本を代表する商社で働き始めているわけだが、就職活動はあっけないものだったと言う。 「ボストンのキャリアフォーラムに参加しようと計画はしていたんですが、その前に三井物産から内定をもらいました。応募はインターネットでした。海外にいけるチャンスの多い会社ということで商社にチャレンジしたんですが、とんとん拍子に話が進みましたね。あとから聞いたら『お前は、よくわからない奴だから採った』と言われました(笑)。でも実際は、アメリカの大学を出た即戦力人材として評価してもらったと自負しています」 海外で働きたいという人は多いが、その中にはただ単に海外で生活したいだけで仕事は何でもいいといった考え方をする人もいる。しかし坂下さんは明確な考え方を持っていた。 「海外で就職するつもりはありませんでした。中途半端な働き方になるような気がして・・・。やっぱり日本で就職して、そこから海外へ派遣されるのが理想だと思っていました。日本を背負って海外へ飛び出すという感じですね」
◆大事なのは気持ち
就職でも海外進学でも、同じ環境に置かれる人は多いが、結果には大きな差が出る。それはもともと個人がもっている資質も影響を与える大きな要素とはなるが、それよりも大事なのは取り組む姿勢や気持ちである。 「海外に進学しても遊ぶ人は遊ぶだろうし、日本の大学でも勉強する人は勉強する。大事なのは、何をしたいのか、何の目的で自分はここにいるのか、ということをしっかりと考えることだと思います。環境が変われば自分も変われるんじゃないかと考えている人って多いと思いますけど、それは違う。自分が変わろうとしなければ、何も起きない。自分が変われば、環境も変わるんです。実際は変わっていなくても、変わったように見えてくる。それが大事」 とは言いつつも、決して環境を変えることを軽視しているわけではない。 「アメリカで学んで、自分は変わったと思います。やっぱり切磋琢磨できる環境にいると、周りから刺激を受けることも多いですからね。それは三井物産でも同じです。とくに私の所属する金属部門は社内でも伝統があり教育がしっかりしているし、自由な雰囲気のある部門なんです。なのでビジネスの土台をしっかりと形作っていくには最適です。自分にしっかりとした考えがあって、そして良い環境に恵まれたら、道は自ずと開けていくと思っています」
◆両親には感謝
海外進学、卒業、就職と、順風満帆な人生を過ごしている坂下さんだが、いま両親にすごく感謝していると言う。 「海外進学の希望を両親に打ち明けたときは、やっぱり反対はされました。でもそれは海外進学そのものにではなくて、準備不足のままで海外に行くことに対する反対だったんです。だからNICの話をしてOKをもらいました。でも高校生の時はまだ両親の凄さはわからなかったんですけど、アメリカに行ってからわかりましたね。自分がここにいられるのは両親のおかげなんだということを考えたとき、その偉大さが胸に染みました」
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2004年8月に行われたライブ・セッションの最後のコメントでも坂下さんは「環境が変わっても、自分が変わろうと思わなければ、何も変わらない」と後輩にメッセージを贈った。それは常に「自分が何をしたいのか」「そのためには何をしたらいいのか?」を考え、実行に移し、成功したときには自分に自惚れず周囲でサポートしてくれる人たちに感謝する気持ちを持つ男からのシンプルなメッセージだった。
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