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同窓生インタビュー
<2001年> 長谷川規子さん NIC第10期生 東京・日本大学豊山女子高等学校出身
アラバマ大学核医学工学部
なんとなく、なら来ないほうがいい。 |
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Q.どんな高校生でしたか。そしてなぜ留学を選んだのですか。
A.日大の付属で中学・高校と同じ学校に通ってました。クラスメートも6年間、ほとんど同じで、ほぼ全員がそのまま日大を目指すという環境でした。そのため、アットホームな雰囲気でとっても楽しかった。私自身は、特には目立たないごく普通の高校生だったと思います。ただ、小さい頃から人を助ける仕事がしたいな、と考えてました。それで将来は医者か、医療系の仕事がしたいと思い、高校は理数系のコースを選びました。留学について意識したのは高校3年もかなり過ぎてから。大学に進むための日大統一テストを受けたのですが、医療学部は無理だと言われて。実は私、数学が苦手だったんです。他の学部なら行くことはできたけど、やりたくないことを4年間もやりたくなかった。その頃、NICを知ったんです。もともと英語に興味はあったし、アメリカの大学は入る時には文系・理系は関係ないと聞いたので、説明会に参加して、いろんな話を聞いてから留学を決めました。あと、6年間、ずっと同じ環境だったので、ちょっと飽きたって言うか、違う世界を見てみたいと思ったこともあります。
Q.NICの1年間はどうでしたか。
A.クラスメートはみんな将来の夢とか、自分の意見をもっている、熱い人の集まり。個性的で変わった人が多いなと思いました。だけど、分かち合えるものがあるというか、先生と学生が一緒に同じ目標に向かっていくという感じが好きでした。ひとクラス約20人で、25クラスあったんですが、それぞれにカラーがあるんです。年に一度、アウティングといって富士山の研修所で1泊2日の研修をするんですが、その中のイベントでも、どのクラスもとても団結してるんですが、かといってクラス間の壁はなく、誰とでも気軽に話せる雰囲気がありました。
Q.アメリカでの大学生活について聞かせてください。
A.アメリカの大学は入りやすいけど、卒業するのは難しいとは聞いていましたが、それは考えていた以上でした。成績が悪いと退学が待っている。これは留学生に限ったことじゃなくて、アメリカ人の学生でもやめてく人がけっこう多いんです。すべては自分の頑張り次第。私も今までに、こんなに勉強したことはありませんでした。問題はやっぱり、英語。とにかく、スピーキングが早くて。それを聞きながら、写しながら、内容を理解しなければならない。最初の頃はとにかく予習、復習、宿題に追われる毎日で遊ぶ暇なんてありませんでした。やれる、と思ったのは2年になってから。週に10時間、マウスの脳や肝臓の成分を調べる実験をそのレポートの提出が加わるなど、内容自体はよりハードになったんです。だけど、今はこっちの勉強の量とスピードになれたというか、だんだんと自分のペースでできるようになりました。
Q.あなたは、変わったと思いますか。
A.やりたいことがあれば、とにかく一回はやってみる。その、勇気がついたと思います。やらずに後悔したくない。一生懸命勉強しているのに、点数がとれない時があったし、正直言って自分の限界を感じた時もありました。だけど、それがダメでも次の将来の目標がはっきり見えてきたと思います。あと、アメリカに来て日本のことがとても気になります。いい国だと思うし、精神的に弱かったら帰りたくなります。
Q.将来について、聞かせてください。
A.検査技師の資格をとって、アメリカの医療機関で働きたいと思ってます。そしてもっと医療のことを勉強したい。この分野ではやはりアメリカが進んでますから。3年からアラバマ州立大学の医療科学学部に編入するんです。それが自分の目標にいちばん近づける道だと思って決めました。編入先の大学探しからトランスファーの手続まで、もちろん全部自分でやりました。あれやこれやで、1年かかりましたけど。
Q.高校生のみなさんに、メッセージをお願いします。
A.アメリカでは、なんとなく大学に来る人はいません。みんな目的があるし、今はそれが見つかっていなくても大学で探そうとしている。そのぶん勉強は日本とは比較にならないほど厳しい。だけど、矛盾しているかもしれないけど、留学は思ったほど大変じゃないと思います。ただ国が違うだけ。すべては自分次第。本当にやる気のある人なら、誰だってやり遂げることができると思うし、チャレンジする価値があると思います。
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