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同窓生インタビュー

<2003年秋>
辛玉順さん NIC第10期生 茨城朝鮮初中高級学校出身
カリフォルニア州立大学チコ校 経営学部卒業
日本オラクル勤務


何があっても自分の意志でやりたいことをやる。
そこに道はできる。

コンピュータシステム・コンサルテイングの大手カンパニー、日本オラクル。そのサポートオフィスは世田谷用賀の高層タワーの一角にある。NICからカリフォルニア州立大学チコ校を経て辛王順さんがこの日本でも有数の成長企業のサポートセンターに配属されたのは2002年の秋。在日3世の彼女には、何か行動を起こそうとすると、常に国籍という障壁が行く手をこばみ、立ちはだかった。しかし彼女はひるまなかった。障壁が道を塞ぐなら、ちがう道を探せばいい。道はひとつじゃない。

■ ■ ■ ■
「英語が大好きでした。アメリカも大好き。テレビドラマの『ビバリーヒルズ』シリーズを夢中になって観てました。高校の往復の合間に英会話のスクールにも通ってたんです」
やがて進学、受験の季節。そこで大きな問題に直面した。日本の大学への進学を考えていたが、彼女の通う高校の場合、その受験資格が得られないという。
大検の資格保持が要求されるという。専門学校でも、正規の枠ではなく補欠枠での入学なら許可されるという。勉強する意欲の高さ以上に、障壁が高い。
「そんなときにNICの入学案内を目にしました。そのキャッチフレーズを、いまでもよく覚えています。?道はひとつじゃない?一目ぼれしましたね、そのフレーズに」

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NICの受験のときに印象に残った出来事がありました。辛さんは懐かしそうな表情をする。
「3人一組の面接試験を終えて、部屋を出ようとしたところで、スタッフの方から声をかけられたんです。シンさん、ちょっと待って!って。私は、名前からわかるように国籍が日本じゃないでしょう。それでこう言われました」
『あのね、シンさん、あなたが、いざ留学ってなったときにね、ビザの問題とか、その他いろんな問題が出てくると思うの。でもね、なんにも心配しないで、大丈夫。私たちが全力でサポートするって約束するから』
なんと温かい響き。そのスタッフのひとことに当時のシンさんがどれだけ勇気づけられたかは想像に難くない。

■ ■ ■ ■
「NICに入学した最初の学期は、いちばんつらかったですね。自分では、そこそこ授業についていけるつもりで入学したんですけど、英語力に関しては、もっと上の人がゾロゾロいるんです。クラスに出席しても、エーッ、英語でそんなに早口でまくし立てられても、わかんない!あれっ、宿題って何が宿題、いま先生が言ったのが課題?そんな状態。ラジオ番組をヒアリングしてその放送内容の感じたことをレポートにまとめなさいっていわれても、どうしていいかわからないじゃないですか。毎日、学校でとったノートをなんどもなんども読み返して、字幕無しで映画を見るようにして、1学期はあっという間でした」

■ ■ ■ ■
2学期に入るとさらに学習強化。TOEFLを550点に引き上げるべく特別レッスンも受講。クラスも教養課程の単位を取得できるように変更しました。もう必死でしたね自分の学力向上に、とシンさん。そのかいあってチコ校に無事進学。苦労が実ることのうれしさを満喫する。

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「海外に出てみると、いままで日本にいるときに気にしていたことが、びっくりするくらいなくなっちゃいました、あっさりと。名前も国籍も、誰も何も気にしない。いままで気にしていたあれは、なんだったのってかんじですよね。観る視点がちがう。どこの国の名前は誰それだ、なんてことは重要じゃない。『君は何ができるの』、それが重要なポイントになる。そういうことですよね。留学することで、私は決して特殊な存在ではない、という自分のアイデンティティを再発見できた、そう思います」

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「就職に関しては、海外の大学を卒業したことで、日本の同じ年の学生よりかなりプラスのアドバンテージをもらったという実感がありますね。特に外資系だと、英語力が欠かせません。本社とのやりとり含めて、社内の信頼を得られるのはうれしいです」
シンさんの口もとがほころんだ。さらに続けた。
「どこにいても、何があっても自分の意志でやりたいことをやる。そこに道はできる。自分が幸せになる道。それはひとつじゃない、あらためてそう思います」

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