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同窓生インタビュー
<2006年>
小林綾子さん NIC第15期生 東京・國學院大學久我山高校出身
ネバダ州立トラッキーメドウズカレッジ建築デザイン学科
Nothing is Impossible |
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◆アジア人がアメリカ人と対等にやっているのを見て。
NlCを志望したきっかけは、高1の時にペネッセの企画でカリフォルニア州に1ヶ月間ホームステイをしたことでした。この問にUCLAを見学することもでき、そこで中国人などのアジア人が、母国語ではなし、言語を使って大学レペルの勉強をしているのがかっこよかった。語学留学ではなく、英語が使えるのが最低条件という環境の中で堂々と、楽しそうにしていた留学生の姿が印象的でした。自分もそうなりたいと思ったのでNlCを選びました。
◆建築からダンスの道へ。
中学の時からダンスをやっていて、高校のダンス部では全国大会で5位に入賞しました。NICにいるときもダンスチームを作って、アウティングのイペントで踊ったりもしていたんです。でも実際にダンスを専攻するかどうか、実は高校の時に進路で迷いました。日本の体育大学に進んでダンスをするか、NlCで留学をするか、自分の中に二択あリました。でも当時はダンスより建築に興昧があった事と、アメリカに行ってもダンスは学べるという理由からNlCを選択、そして渡米後は建築を学び始めたわけです。でもやはり趣味としてダンスは大好きだったので、渡米後もダンスカンパニーに所属したリ、大学のダンスコンサートに出演したリとダンスはずっと続けてきました。
現在は単位も取リ終わリ、最終学期は週40時問のインターンシップをリノ市内の建築事務所で行っています。インターンシップ後もそのまま残って働けることになったので、しばらくはこの建築事務所で働く予定です。
でも実は、将来の夢は、ダンサーになることなんです。リノに来て、しばらくしたときに(2003年11月)、先輩が、Wafu(日本人演劇グルーフ)の公演を見に来ないか、と誘ってくれたんです。今までダンスで舞台に立ってきたけれど、Wafu公演を観に行ったことによリ芝居という新たな“舞台''の分野に触れ、演劇への興味が沸き自分も参加する事にしました。そして芝居との出会いが、自分の本当にやりたかった事に目を向けるきっかけになりました。舞台に立たせてもらう機会をWafuで得た事により、自分はパフォーマンスをする事が純粋に好きだと再確認したんです。でも今自分が学んでいる建築というフィールドも好きで、どちらか一つに絞れない状態でした。だったら両方やリたい!という結論に達して、現在は建築事務所でインターンをしながらダンスチームにも所属、Wafuで芝居も学ぶというやりたい放題の生活を送っています。
また、05年の9月には、UNR(ネバダ州立大学リノ校)のWolfPack(公式体育会)のダンスチームのオーディションにも合格したんです。これは、バレーボールやバスケットボールの試合のハーフタイムで観客の前で踊るというもので、チアリーディングと並んで、大学の花形なんです。
そういうわけで、建築会社で数年働いて、お金を貯めたら、またダンス学部に編入して、本格的にダンスを学んでいければと思っています。
◆「Nothing is
impossible」
私にとって今回の留学が、親元を離れた初めての生活でした。これまでは料理も満足にできませんでしたが、こっちに来て、当然家事も自分でやらなければならないし、自分でお金を管理しなければならないし、そういった意味ではだいぶ精神的にも大人になったのではないかと思います。
アメリカに来て感じたことは、「不可能なことはない」ということ。もちろんEverything
is
possible(すべてのことが可能)だとは、思いません。でもアメリカという国は、やリたい、と思う人には、平等にチャンスをくれる国です。だから「不可能なことはない」。やりたいことがあれば、誰にも遠慮せず、その道に向かって進んでいってほしいと思います。 |
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