Interview

上田 智樹

#5上田 智樹さん

J-Workout 大阪スタジオ チームリーダー(NATA 公認アスレチックトレーナー)

  • カリフォルニア州立大学フレズノ校 運動生理学部アスレチックトレーニング学科卒業California State University Fresno BS in Athletic Training

NIC19期生

神奈川県 桐光学園高校出身

上田 智樹さんを
特別にしている
ことは?

意志あるところに道あり!
“何事も、思い立ったらまず チャレンジ!”
“チャレンジして苦労したり、
“壁にぶつかっても、頑張っていれば
いつかゴールにたどりつける!”

日本で唯一の脊髄損傷者専門トレーニングジム、
ジェイ・ワークアウト

2015年の8月にジェイ・ワークアウト大阪スタジオが完成して、今はここでリーダーとして毎日を過ごしています。今年で、ジェイ・ワークアウトに出会って6年目になります。

ジェイ・ワークアウトの仕事は脊髄損傷者の方の「車椅子卒業」を目標として歩行できるまで、独自のトレーニング方法で実現していくことです。3歳から80歳代までの約400名の脊髄損傷者の方が、ここに来て再び「歩く」ことを目指して日々頑張っています。今までの医学の常識では、脊髄が一度損傷してしまうと回復は不可能だと言われ、多くの方が車椅子生活を余儀なくされてきました。しかし近年、トレーニングによる回復の可能性が証明されてきています。

アメリカにある世界初の脊髄損傷者専門トレーニングジムProject Walk社のトレーニング方法を、当時トップトレーナーであったNIC13期生の渡辺淳が日本に持ち帰り、2007年にジェイ・ワークアウトを創設しました。渡辺は残念ながら事故で私の入社前に亡くなってしまいましたが、その想いを私たちが受け継ぎ脊髄損傷者の回復を目指し日々トレーニングに励んでいます。

上田 智樹さん
創設者渡辺淳氏亡き後、彼の親友で脊髄損傷者の伊佐拓哲氏が
遺志を受け継ぎ、J-Wokoutの代表を務めている。© Tomoki Ueda 2017

ジェイ・ワークアウトとの出会い

アメリカのカリフォルニア州立大学フレズノ校でアスレチックトレーニングを専攻していたのですが、日本に一時帰国していた時にたまたまテレビでジェイ・ワークアウトが紹介されていました。後で知ったのですが、そのニュースは創設者の渡辺淳が亡くなったことを知らせるニュースだったんです。その時は、”ジェイ・ワークアウトっていうところがあるんだ。”と思って終わっていました。

その後、大学を卒業して帰国した際に、トレーナーの求人サイトでたまたまジェイ・ワークアウトのトレーナーの募集をしていて、調べていくうちに、医療現場で歩けないと言われた脊髄損傷者を回復させている実績・技術や” KNOW NO LIMIT”=“回復に限界はない”という企業理念に惹かれ、すぐに応募することに決めました。渡辺や今オフィス業務をしている先輩がNICの先輩だと知ったのは入社後の事でそれも何かの引き合せなのかなと感じています。入社後は脊髄損傷に関して一から勉強して、いくつもの試験を経て、最終的にトレーナーとしてクライアントさんを担当してトレーニングを提供できるようになりました。

トレーナーになると担当クライアントさんを受け持つことになるのですが、一人一人の身体の状態も様々です。中には寝返りをうつことも難しい方もいらっしゃいます。クライアントさんと二人三脚でトレーニングを積み重ねる中で、そのような方が、寝返りができるようになったりなど、回復が日々見られることは本当にやりがいになります。トレーニングをずっと担当していくので、各担当クライアントさんとの信頼関係が築けるのもジェイ・ワークアウトの好きなところです。その中でも、私の担当クライアントさんが昨年、ジェイ・ワークアウトでその年に一番回復が見られたクライアントさんに贈られる” Recovery of the Year”に選ばれた事は、トレーナー人生で一番嬉しかったです。その方は、トレーニング始められた当初は、車椅子での生活でしたが、今では完全にに車椅子から卒業し、少し走れるほどまでに回復しました。

上田 智樹さん
© Tomoki Ueda 2017

スポーツの本場アメリカで、
アスレチックトレーニングを学ぶ

高校時代までバスケットボールをしていたこともあり、アスレチックトレーナーになるのが目標でした。高校生の時、進学に悩み、いろいろな大学の紹介冊子を見ている時に、NICの紹介ページでアスレチックトレーニングをアメリカで勉強してプロ野球のトレーナーになっている卒業生の方のお話を読んで、とても憧れました。彼のように、バスケットボールの本場アメリカでアスレチックトレーナーの勉強がしたいと思い、NIC入学を決めました。NIC時代は、宿題を提出するために授業前ギリギリまで粘って図書館のパソコンルームをクラスメイトで占領して、ずっと一緒に勉強していたことは良い思い出です。

アメリカに進学後大学3年生になる前に、学年で20人しか選ばれないアスレチックトレーナー養成プログラムに入ることができました。そのプログラムに入るためにはある程度のGPA(総平均成績) が必要で、書類審査や面接を通過した学生だけがプログラムに入り学ぶことができます。

午前の授業の後に、その養成プログラムの一環として、大学の様々な運動部に割り振られ、学生アスレチックトレーナーとして実務経験を積みます。選手に練習前のストレッチやテーピングをしたり、練習の付き添い、怪我の応急処置や、練習後は選手の身体のケアや管理もしなければなりませんでした。試合中も、ひと時も離れずいつでも対応できるようにしなければならず、大変でしたが、トレーナーとしての実践的なスキルをつけることができ、とてもいい経験になったことを覚えています。大学4年生の時には念願のバスケットボール部に専属で帯同し学ぶこともできました。

上田 智樹さん
2009年から2010年まで、Athletic Training Education Programに所属。
トレーナーとしての実務的なスキルを身につける。© Tomoki Ueda 2017

”Know No Limit”=”回復に限界はない”

ジェイ・ワークアウトに来られるクライアントさんの中には”ここに電話をかけることに、本当に勇気がいりました。”と言われる方もいらっしゃいます。医師から、”あなたは一生歩けません。”と断定され、周りからもどうしようもないと言われ続け、色々な事を諦めないといけなくなってしまったり、中には引きこもってしまう脊髄損傷者の方もいらっしゃるのが現状です。色々な挫折や悲しみを越えて、ジェイ・ワークアウトに辿り着いた方々にお会いできた以上、少しでも” Know No Limit”=”回復に限界はない”ということを証明できればと思っています。

ジェイ・ワークアウトで働き始めて今までの6年間、今では座右の銘である、”意志あるところ道あり”=”Where There Is AWill , There Is A Way ( 当時のNICのスローガンでもありました)”と共に、”Know No Limit”という言葉が、僕のスローガン( 指標) ともなって僕を鼓舞してくれています。クライアントの皆さんが本当に毎日頑張っているので、僕もトレーナーとしてもっと頑張らなくては、と思うばかりです。

限界はないんですから!

上田 智樹さん
© Tomoki Ueda 2017