TOP
第19期生
第18期生
第17期生
>47人の精鋭たち
第16期生
第15期生
第14期生
第13期生
第12期生
第11期生
第10期生
第9期生
第8期生
第7期生
第6期生
第5期生
第4期生
第3期生
第2期生
第1期生


北海道・東北関東北陸・中部近畿中国・四国九州・沖縄海外



福岡
井無田 真亜子 (イムタ マアコ)
県立・小倉東高等学校

 渡米を目前に、今日までのNIC生活を振り返ってみると、私は本当にたくさんの人に支えられて、ここまできたんだなぁと思います。だから今、私を支えてくれている皆にありがとうを言いたいです。
 まずは、アメリカに行くことを許してくれた家族☆
"まあこが本当に行きたいなら応援するよ。"って言ってくれたお母さん、留学するの本当はすごく怖かったけど、お母さんがそう言ってくれたから勇気が出ました。ありがとう。それと、お父さん、ゆう、おじいちゃん、おばあちゃん、いつも電話かけてきてくれてありがとうね。
 そして、NICで出会った友達☆ バカなことして、はしゃいだり、宿題一緒にしたり、ダウンしたとき夜遅くまで看病してくれたり、相談乗ってもらったりして、いつも一緒にいた友達、ありがとう。卒業してもずーっとよろしくね(^o^)/ 。
 最後に、私の英語力をビシバシ鍛えてくださったteachers。Thank you very much!
 世界中には何十億人って人がいる中で、皆に出会えて本当に良かったと心から思います。 


福岡
梶原 知絵 (カジワラ トモエ)
県立・宗像高等学校

 私がNICに入ろうと思ったのは、NICから届いたビデオがきっかけでした。以前から、留学に興味があった私は、NIC以外のところからの留学が、既に決まっていました。でも、ビデオを見て、自分の将来を考え、ただの語学留学をするわけではないのだから、やはり一年間の準備期間が必要ではないのかな、という考えに辿りつきました。
 ヘッドプログラムに参加していなかった私は、登校初日、クラスの人達のあまりのフレンドリーさと大都会の騒々しさになじめず、『こんなとこで一年間もやっていけるっちゃろーか』と不安に感じていたことが、今では懐かしく思えてきます。
 今まで、地元内でしか活動してなかった私にとって、NICの皆の様々な意見は、新鮮そのものでした。私は日本の大学を選ばず、慌てて渡米することもなく、NICを選んで良かったと思います。まだ生のアメリカを体験したわけではないので、何が役に立つかなど、分からないけれど、無駄になったとは思えないし、大切な友達もたくさんできて、ここでの生活は、自分を少し成長させてくれたように思います。
 今は、渡米後の自分と大切な友達の、安全と成功を祈りながら、残り短い日本での生活を大事に過ごしたいと思います。
 最後に遠く離れた福岡から、一年間支えてくれた家族にも、感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いしますo(^-^)o。


福岡
田島 愛 (タジマ メグミ)
私立・九州女子高等学校

 こんにちは☆東京で一人暮らしを始めて早、11ヶ月が経ちました。最初はすごく寂しかったけど、大分、慣れてきました。でも、3連休はさすがに堪えます・・・
 NICに入学してから、いろんな人達に感謝しています。特に、家族。離れてみて、やっと、家族の大切さに気づきました。最終進路決定や、今までの進路に厳しいアドバイスを与えながらも、協力してくれて、ありがとう。妹にも、私のせいで、いろんなプレッシャーを与えていると思います。ごめんね。これからも色々と心配をかけるけど、宜しくお願いします。
 この一年、私にとってturning pointの年でした。今まで、真剣に物事を考えた事が無かったので、大変だったけど、チョイ大人になれた気がします(笑)。NICでは、一人一人が違う考えを持っているので、友達とたくさん話して、視野を広げることもでき、とても充実した年でもありました。
 最後に。一年後、ちゃんとアメリカで笑っていられる事を夢みて、来学期も、今よりチョイ頑張りめで、マイペースに、英語に、青春に励みまっす☆


福岡
石橋 由佳理 (イシバシ ユカリ)
私立・中村学園女子高等学校

 強くなれた気がする。立ち止まる度に、また『頑張ろう』って思えるようになったのは、応援してくれる仲間、地元の友達、そして両親のおかげだ。
 18年間生きてきて、両親に感謝を表すことは無かった。上京して、二週間に一度届く荷物には、必ず、手紙が一通入っている。『風邪ひいていませんか?』『勉強忙しいけど栄養たりていますか?』と健康を気づかう内容である。今まで感じたことの無かった愛を感じた。そして生まれて初めて、“感謝”という言葉を母に抱くようになった。
 そして次に、いつも側で支えてくれた仲間に感謝したい。高校生活での偏差値争いから、『人は一人で生きなければならない、回りは皆ライバルだ』と思い生きてきた。ところが、NICでの勉強の仕方、皆で一緒に学ぶスタイル・・・今までとは違った。それぞれの夢見る矛先は違っても、お互いを励ましあい、助け合って留学を目指す気持ちは皆等しかった。
 最後に私の夢。戦争で心に傷を負った子供たちの心にオアシスを作ってあげたい。そして、NICで学んだ全てのことを、世界中の子供にプレゼントできたら、最高だ。


福岡
佐々木 亮太 (ササキ リョウタ)
県立・宗像高等学校

 私が留学を考え始めたのは、高校一年の時、その頃、部活のバスケットボールに没頭していたのですが、突然『留学』という二文字が頭をよぎった。だから留学したいということに対して、理由とか根拠はなかった。しかし、それは時間が経つにつれ、自然と明確になった。
 私は十年間、バスケットボールをしてきた。その十年間は生活の全てが、バスケットボール中心で動いていた。バスケットボールのおかげで、多くの経験を積んだ。それは、多数の人間をまとめることの難しさや、大きな緊張感の中で、いかに冷静さを保つことなど。それに何より地道な努力は、嘘をつかないということ。そして、人は人から支えられているということ。私はバスケットボールを夢中にした。しかし、それができたのは、父や母の協力、先生方やバスケットボール関係の指導、医者やトレーナーとのコミュニケーション。恥ずかしいことだが、私がそのことに気づいたのは引退してからのこと。バスケットボールから一度身を離して、得たものである。もちろん「今、留学する。」という立場にある私は、多くの人の協力があってのことである。
 話は変わるけど、スポーツ。それは怪我と常に隣り合わせである。私も十年間、怪我を繰り返し続けた。当たり前のことだが、そんな時、医者やトレーナーの方に助けてもらう ! バスケットボールが大好きな私は、誰もが夢みるNBAという舞台のプレイヤーになりたい。しかしながら黒人の選手のように、ずば抜けて身体能力にすぐれているわけでもなく、身長も低い私はとうてい無理だろうと考えた。だから、私はその選手をサポートしたいと考え始めた。それがアスレティックトレーナーである。そこから私の考えや目標はどんどん膨らんでいった。
 夢は大きく、目標は小刻みに。私はそう考えている。こう改めて、自分の目標や留学に対する思いははっきり述べられるのだが、日々の生活ではどうも忘れがちにある。そのため、ついつい誘惑や自分の楽な方に逃げてしまう。留学まで残り半年もない今、もう一度自分に気合いを入れていく。


佐賀
金丸 樹理 (カナマル ジュリ)
県立・唐津東高等学校

 NICで勉強できて本当に良かった ! 
 一学期は、アルバイトと勉強を両立させるのが大変すぎるのと、小さい佐賀から上京し、東京のど真ん中での孤独な生活の淋しさで、いつも泣いてました。ほんとつらかったなぁ。でも今は、笑ってばかりいます。勉強は努力すれば、ちゃんと結果が出せるということを確認できたし、おもしろくて、変わった友達もたくさんできました。NIC、楽しすぎです ! 人生変わります ! 19年生きている中で、一番一生懸命になれました ! 
 最後に、お母さんありがとう ! NICに入って、死ぬほど頑張れたのもお母さんのおかげです。NICに入りたいって言った時も、真っ向から反対せずに、私が入学できるようにいい方法はないか、と考えてくれたから、今こうやって、自分に自信つくほど頑張れよるよ ! お母さん、私が一人前になるまで一人で支えるのは本当に大変だと思うけど、四年後、自分の夢を叶えて絶対お母さんを幸せにするけんね ! アメリカ行って、一旗あげてくるけん ! これからもよろしくお願いします。


佐賀
塚原 賢一郎 (ツカハラ ケンイチロウ)
私立・龍谷高等学校

 振り返ってみると、僕が3月に地元の大学を卒業した後、海外留学を目指してNICに入学したのが、今から約7ヶ月前。あの時点で、この一見普通のオフィスビルのような学校で、これほど充実した学校生活が送れるとは、どうして想像出来ただろうか?
 僕にとってNICとはまさに「壁」そのものであった。これまで、あまり年下と付き合ってこなかった僕にとっては、それこそ「年齢の壁」から始まり、勉強をしてこなかった僕にとっては「英語の壁」、そしてYEARBOOK委員会の活動を通じて認識した「自分自身の壁」など、様々な壁が僕の目の前に立ち塞がっていた7ヶ月だった。
 時にその壁を乗り越え、時にその壁に思いっきりぶち当たり、さんざんあがき、苦しんで、自らの弱点にまたトライする。この7ヶ月はその繰り返しであった気がする。
 まだその過程にある僕が、この本を読む時どうなっているかはわからない。ただひとつだけ言えることは、これまで僕を支えてくれた、かけがえのない家族や友人達に、感謝の気持ちを忘れてはならない、ということだ。
 これから、イギリスで自分にとってのビッグ・チャレンジが始まるが、支えてくれた彼らに感謝し、壁にぶち当たっても、決して諦めることなく、「今の自分が好き」と笑って言える自分でありたいと思う。


長崎
中村 孝治 (ナカムラ コウジ)
私立・青雲高等学校

 NICに来てから、自分の生活が潤っているのを感じている。
 それは、制限され尽くした高校時代の生活から、開放されたからだけではないと思う。高校時代はクラスの中で、多少浮いていて「自分は少し変わっている」と思っていたんだけど、NICの学生たちは変わった人ばかりで、「意外と自分は普通の方なんだなぁ」と思い知らされた。それに日本の学校だと「変わり者」として定義されて、ただ無視されてしまうような、どんな「変わり者」でも、NICでは受け入れられてしまうのがスゴイと思った。だからそういう人は、NICに来たらすごく心地がいいかもしれない。
 幸い、他の人と違って親が最初から留学に大賛成で、高校の先生のおかげもあって、難無く入学できましたが、やはりそのあたりで苦労する人は多いと思います。海外で勉強することは、人間的にも強くなるし、就職などの面でも、今では留学経験者の方が有利になっていて、言ってしまえば、国内の大学に行く価値は、せいぜい医学部の派閥関係ぐらいです。
 だから今、留学を迷っている人や親を説得できない人も妥協はしないでください。NICは意志を持った人が来るべき場所です。


長崎
野原 舞 (ノハラ マイ)
県立・佐世保中央高等学校

 元々、学校&勉強嫌いだった私にとって、NICで宿題に追われる毎日が苦痛で、何度も泣いたり、投げ出したいと思うことがありました。けれども、今こうして耐えてられるのは、皆ここで出会った友達おかげです。皆がいなかったら、きっと今の自分はなかったと思います。皆にはホント感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。
 来年は皆、ばらばらになっちゃうけど、私にとって、このNICで皆と作った思い出は、生涯かけがえのないものです。将来、自分は何になっているまだかわからないけれども、ただ一つだけ言えることは、十年後、皆と再会したとき、生き生きとして輝いている自分の姿を皆に見せれたらいいなぁと思っています。


大分
林 真実 (ハヤシ マミ)
県立・宇佐高等学校

 NICに入学して、8ヵ月が過ぎました。今振り返ると、このNICでの生活は、つらくもあり、楽しくもありました。
 入学してすぐは、勉強の仕方も分からず、毎日課題に追われ、寝れない日々が続きました。何度もNICをやめたいと思い、くじけそうになったけど、その度に周りの友達から助けられ、何とか今まで、やってくることができました。友達の支えがなかったら、今の私は無いと思います。本当に皆には感謝しています。皆のお陰で毎日つらかったけど、笑顔でいることができました。LI-1、IN-6、カレプの仲間、その他の皆、本当に、本当にありがとね☆皆大好きだよ☆また、私のことを応援してくれている両親にも、とても感謝しています。
 アメリカでも頑張って勉強して、自分の夢を必ず叶えます !! それまで、これからも皆よろしくお願いします。


大分
松井 香織 (マツイ カオリ)
県立・大分南高等学校

 私は来年から留学ではなく、パティシエの道を目指していく。
 この結論にたどり着くのは、楽な事ではなかった。小学生の頃からずっと学び続けていた、英語とは違う世界に飛び込む事への戸惑いや不安があったから。
 だけどこの一年、NICでの生活や色々な機会を通じ、たくさんの人と出会う事ができた。そして互いの価値観を話し合う中で、もう一度、真剣に将来について考え直す時間を持つ事ができた。
 私は留学して、キャリアのある自立した女性になる事を夢見てた。周囲から認められる事により、自分の価値を見い出そうとしていた。でも今は、そんな考え方はつまらないって思う事ができるようになった。それは皆のおかげだ。純粋に夢を持って、それに向かって努力している姿は、かっこよくて羨ましかった。そして私も変なプライド抜きに、純粋に好きな事に向かって、突き進んでいきたくなった。
 目の前にある留学のチャンスを無駄にしたとは思っていない。むしろ今は、この選択に満足している。人生は楽しんだ者勝ちだと思うから、私はこの先、何があっても、乗り越えて毎日を楽しんでいきたい。
 私にとって、この一年は色んな意味で、忘れる事の出来ない日々もあり、将来への貴重な通過点だったと思う。


大分
和田 憲子 (ワダ ノリコ)
県立・別府鶴見丘高等学校

 夢は学校の先生。私はこの学校に来ることが出来て、本当に良かった。こんなに高い志を持ち、今までやってきたことがあるだろうか。まずは、許してくれた両親に感謝したいと思う。お父さん、お母さん、ありがとう。私は今、頑張ってます。
 この「47人の精鋭たち」を書くにあたり、私は一つの壁に、ここ一年の問題にぶつかった。先輩方がこれに書いているような頑張りや、努力を心から叫べるだろうかと。
 友達にも多くいるが、私も高校の時、ここに来ることを反対された一人だ。ばーばは、アメリカなんか殺されてしまうと、意見の一手(笑)(Moreover、当時、新宿で殺人事件)。高校の先生方もいい顔はせず、懸命にもっと良い道があるのでは、と説得された。学校の方針に失望し、いつまでも泣いてばかり。以来勉強したいと、前ほど思えなくなっていた。そんな自分が情けなかった。
 いつも私は頑張れてる?とため息ばかり。貪欲さが目に見えて減っていくのを感じるのに、どうにもできない。そんな状態が続いた。でも、後ろばかり振り返っちょんわけもいかんし、前を向いて自分で進んで行かんと何も変わらんね。過ぎてしまった事もこれからの事も、例えそれが上手くいかなかったとしても、人生において無駄になることは一つもない、全て自分の糧になる。そう言われ、何だかやってみたくなった。
 もう少しで、NICでの一年も終わろうとしている。ここに来て、他では得られなかったであろうことをたくさん経験し、感じ、考え、少しは成長した自分に会えたと思う。これからアメリカに行き、更なる困難にぶつかるだろう。今、私はそれに挑戦状を叩きつけたい気分だ。


熊本
岩崎 夕美 (イワサキ ユミ)
私立・熊本学園大学付属高等学校

 NICでの生活を一言で語ることは難しいけど、簡単に言ってしまえば『辛くて楽しい ! 』
 私はNICに入学するまでに、壁というものにぶつかったことがなかった。いつも周りに頼ってばかりで、ちょっと他人任せな所もあった。よくNICのパンフレットに「いろんな壁にぶつかります。」って書いてあったけど、私はそんなたいした事じゃないだろうと甘くみていた。
 でも実際に入学して、パートタイム生として一般教養科目を履修したとき、私は大きな試練を乗り越えなければならなかった。成績が低すぎて、単位さえ取得できるかどうかの瀬戸際に立たされたとき、私は初めてこれが「壁」なんだって思った。
 そんな辛い時支えてくれたのは、やっぱり周りの友達だった。私と一緒に泣いてくれた友達もいた。テスト前になると元気をくれる友達もいた。もし私がそんな困難も経験せずに、なんとなく毎日を過ごしていたら、友達の存在がいかに大事かという、当たり前の事に気づけなかったかもしれない。
 私は、信頼できるたくさんの友達に囲まれて、辛く、楽しいNIC生活が送れて、とても幸せだ。


熊本
西澤 佑香 (ニシザワ ユカ)
私立・熊本学園大学付属高等学校

熊本→Australia→東京→世界へ

 東京で暮らして、九ヶ月が過ぎようとしている。
いまだに方言が抜けない私は、熊本の片田舎で生まれ育った。楽しみといえば週末に市街地に出かけてアーケード街で買い物をするくらい。
 そんな平凡な私だったが、高校二年の冬、父と母を説き伏せて、遂に念願だったオーストラリアへの高校留学を許されたのだ。しかし。オーストラリアで私を待っていたのは、生まれ育った熊本をはるかに超える大自然の営みだった。毎晩のように庭に現れる愛くるしいカンガルーたち。高層ビルどころか二階建ての家さえろくに見当たらない始末。
 「都会で暮らしてみたい ! 」そんな私に、NICは最高の学習環境のみならず、念願の居住環境をも与えてくれた。大都会東京での生活だ。しかも新宿から二駅のマンションに兄と同居。これは勉強に遊びに大忙しになると思ったが、入学当初は宿題や課題に追われて、息抜きさえままならない暮らしが続いた。しかし次第に、自分なりの勉強法やライフスタイルが確立されると、多少は余裕が持てるようになり、憧れていた渋谷、原宿、代官山などにも足を運ぶ機会が出てきた。"What a fantastic place Tokyo is!!" 東京にいる限り、私は退屈するという事がないだろう。確かに、NICで学ぶことは多大な労力を要する。しかし、それに追われて、都会での生活を味気ないものにしてしまうのは、あまりに勿体ない。
 私はNICに入学し、自分をコントロールすることの大切さと難しさを学んだ。有効な勉強法やライフスタイルを確立し、上手く自分をコントロールすれば、東京での生活をフレキシブルに楽しむことが出来るはずだ。もっと上手に自分をコントロールして、東京、そして世界中をとことん楽しみ尽くすことが、私のこれからの目標の一つだ。


沖縄
比嘉 一絵 (ヒガ イチエ)
県立・首里高等学校

 私、比嘉一絵は、この『47人の精鋭たち』に自分の事を書きたいが為に、今まで頑張ってきました。
 私は入学当初、"Male"や"Female"の単語も知らず、小学生でも分かる"Dog"や"Cat"程度の英語力でした。だから、Head StartやFirst Semesterは、授業で今、何をしているのか、何をすべきか全く分からず、ついていけませんでした。一方で、私生活も大変でした。沖縄と違い、電車の路線の多い東京・・・。慣れるまで、学校に行く道のりに迷い、居眠りして電車を降り過ごすなんて事が何度もありました。私生活でのストレスもたまり、食事も中に入らず、体力の限界で、夏休み前にはボロボロな状態でした。しかし、Second Semesterでは、時間や料理に工夫を加え、前向きに楽しんで、生きてきました。
 こんなに苦しんでいた私が、辞めなかった理由とは『外国人とコミュニケーションを取れるようになりたい』そんな思いと、沢山の友達やJapanese Staffがいてくれたおかげです。いつも励ましてくれた友達、忙しい中相談に乗ってくれたJapanese Staff、皆には感謝の気持ちでいっぱいです。皆、ありがとうね・・・でもこれからもヨロシク(爆笑)。
 また、毎日、心配をしてくれ、夜中でも電話に出てくれた両親。いつも一番の支えになってくれた両親。日頃言えなかったけど、本当にありがとうございます。これからはもっと自分を磨き、素敵なレディーになります。
 最後に一言だけ言いたいです。自分を変えたい人、もっと自分を知りたい人、是非、NICに来てください。私は失敗ばかりでも、その中に、一つは必ず成功がある事をここNICで学びました。失敗の連続だった私の心を支えてくれた『人はいくらでもやり直しがきく』という言葉を胸に、これからも私は雑草のように生き、日々自分を成長させていきたいです。



Copyrights c 2003- NIC International College in Japan All Rights Reserved.