人生を変える、本氣の「イギリス留学」
近藤美希さん

死ぬほどやっても『死なない』。

苦労を人の5倍はしています!

「今回は私がやるしかない!色々な苦労や経験なら2時間では語りきれないくらい、人一倍というよりもはや5倍くらいしてきました!」
そういって今回のインタビューに申し込んできた美希さんは、今、イギリスで、大好きな旅行を仕事にするために学んでいる。

イギリス留学で最近一番大変だったことは?の問いには
「先学期、課題が全部グループワークだったこと。自分で言うのもなんですが、エッセイを書くことに関しては自信もあるし、特に書くことに関しては苦労していないんですが、同じグループだったアフリカ人学生が全然協力してくれない(笑)。」

イギリスの大学では、特に経営学系の学部ではグループワークがたくさんある。3,4人のグループでレポートを書いたり、プレゼンテーションをやったりする。美希さんも先学期は合計7、8個のグループワークがあったという。

「あるケーススタディでは、35ページの論文を提出しなければならなかったのですが、結局彼らが書いたエッセイもEditしなければならないし、ルーズな彼らに任せられないと思って自分でやったら、あまりにも自分を追い込みすぎて、タイピングしながら涙が出てきました。期日に間に合わせるためにあせってやっていたら、汗で、キーボードに塩の固まりもできました(笑)。」

添乗員のアルバイト

また、先学期まではロンドンにある日系旅行会社で観光ガイド・添乗員のアルバイトもしていた。あこがれていた仕事も実際にやってみると、思いがけない発見がある。

「これも本当に大変でした。日本からの修学旅行生のお世話をしたり、ツアー客のお世話をするのですが、私達添乗員が文化の違いから来るストレスやトラブルのはけ口になるんです。たとえば買い物や食事で不満があったときにも、直接英語が話せないから、全部私達に来る(笑)。『あんたじゃ役に立たない』とか言われたこともあって。。。日本から来た旅行会社の添乗員の方が、お客さんに罵倒されているところも見たり。。。。」

賃金はとても良く、単に空港からホテルに送迎するだけの日も含めれば、週3~4日働くだけで月約10万円になった。
「旅行業に携わりたいという夢はまだありますが、添乗員はもういいかな?と思っています(笑)。」

そう語る美希さんは、高校2年生までを山口県で過ごし、父親の転勤に伴い、柏高校へ編入してきた。高校時代は300人中常にトップ3位以内にいた。もともと国立の外語大学を目指し勉強していたがセンター試験の数学で失敗。ちょうどその時、NICを知った。
「もともと親にも大学に行ったら1年くらい留学したい、と言っていたのですが、NICのことを話したら両親も賛成してくれました。」

NICでは、IN(下から3番目)レベルからスタート、3学期には飛び級も経験した。NIC修了後は、迷わずイギリスを選択。その理由を尋ねると、
「旅行が好きだったので、イギリスだったらヨーロッパ中旅行できるかな?と思って(笑)。」
好きこそものの上手なれ、である。

実際にイギリスに来てから多くの国を訪ねた。
「スウェーデン、ドイツ、イタリア、スペイン、フランス、オーストリア、あとクラスの研修でチュニジア(アフリカ)にも行きました。」
ダイビングのライセンスをもっているという美希さんは、このお正月には、NIC時代の友達と2人でエジプトの紅海にダイビングに行ったという。

「旅行のお金はアルバイトで稼いでいます。でもイギリスから海外旅行するのは本当に安くて、イタリアのベネチアに行ったときにも飛行機代も往復5,000円くらい。もちろん特別料金なので朝4時の出発だったりするんですけどね(笑)。」

イギリスは物価も高いと思われているが、生活費はそれほどかからない。「今は一軒家を5人でシェアしているのですが、一人当たり月4万円くらいです。」

死ぬほどやっても死なない。

ハードフォードシャー大学の観光学部はとても実践的で、実際に隣町の役場の人とチームを組んで、町の活性化プロジェクトを運営したりもした。
「プレゼンテーションも、町の公民館(笑)。大学の先生や役場の職員、住民の人々も集まって、その前で発表したんです。」

いよいよ6月に卒業を控えた美希さんは、イギリス留学に興味を持つ読者へのメッセージとして、こう話してくれた。
「当たり前ですが、こっちに来ると、日本では経験できないことができます。人種もいろいろ、考え方や価値観が違うのも当たり前。日本に帰って同世代の人と話をしても、いやな言い方ですが、『それくらいのことで悩むな。私はもっと苦労している』って思ってしまいます。厳しい環境にいれば、失敗もたくさんします。勉強や仕事、生活面が大変で「もう倒れるー死ぬー」って思うことが何度もありますが、実際に死んだり倒れたりしたことはありません(笑)。その度人間のたくましさを、身をもって経験できます。いいことばかりではなく失敗や苦労もいまだにたえませんが、それを一つずつ乗り越えていくことによって、人間として大きく成長できると思います。」

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スカラシップ授賞式のパーティ
エジプトでダイビング
ハウスメイトと
海外での思い出
St.Albasに校外学習に行った時にクラスメートと
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木村麻里美さん

「人生とは『生きる意味を考える』こと」

全英有数のカウンセリング学科

イギリス国立ローハンプトン大学のカウンセリング学科のカリキュラムは50%理論、50%実践だという。学生がそれぞれカウンセラー、クライアント、そしてオブザーバーの役割を演じるカウンセリングセッションも毎週のように行われる。 「授業で学んだカウンセリングの理論やスキルを、セッションで実践するんです。たとえばParaphrasing といって、相手が話した内容を、違う言葉で自分が返すことで、相手に、『この人はちゃんと私の言ったことを理解してくれている』と伝えることができます。ただ相槌をうったり、カウンセラーが自分の考えを一方的に伝えるのではカウンセリングではないですよね。」

イギリス国立ローハンプトン大学のカウンセリング科は、全英でもトップクラスとして知られる。BPS(英国心理学学会)認定のカウンセラー養成コースをもつ大学はイギリスでもわずか12校。ローハンプトンはその中の一校である。
「先生たちも実際にBPS認定のカウンセラー資格をもっていて、病院で働いていたり、自分のクリニックを経営している先生達が教えてくださります。」

麻里美さんは、実生活でも、友人の相談にのることが多く、勉強したことも生かされているという。「私の周りには、今まではもちろん、新しく出会う人の中でも、深刻な悩みを抱えている人が多くて。。。実家に帰ったときには、お父さんが仕事のストレスで倒れてしまって、そのときにもお父さんの話を聞いたり。。。お父さんも誰にもいえなかったことをいろいろ話してくれました。」

その時に思ったことは、
「日本では精神科や心療内科がありますが、カウンセリングよりも薬の処方が主ですよね。それ以外でカウンセリングを受けようと思うと、保険がきかない場合が多いから、実費で7000円~8000円もかかってしまう。お金がない人はカウンセリングを受けることも難しいということなんです。」

そして卒業後は日本で働くことを希望している。
「できれば北海道の職員になって、社会福祉の仕事をしたい。生活や仕事で困っている人の相談相手をしてくれる公的な人材はまだまだ足りないので。」

小学校の時、バスケット部の友達と些細なことで仲たがいをした。
「自分が言った言葉で友達を傷つけてしまって、、、その時から相手がどう思っているのかを考えただけで、人と接するのが怖くなって、そして自分の行動や思考が真実なのかどうかもわからなくなってしまったんです。」

ローハンプトンに来て、「心理学の勉強=(イコール)自分自身を知ること」だと教えてもらった。
「自分の弱いところ、いいところを自分で評価できるようになりました。」

今までやっていたことは何だったの?

高校3年の夏、当時第一志望だった、道内では一番良いとされる私立大学の英語科のオープンキャンパスに行った。しかしそこで聞いた在校生のコメントにショックを受けた。
「うちの大学に来ても英語が話せるようになるわけじゃないしね。」

麻里美さんはそこで進路に迷いだし、高校の先生に相談したところ、先生が「お前は1年の時の進路調査票に「留学希望」って書いていたぞ」と教えてくれた。そして進路指導室にあった留学の資料を片っ端から読み、その中でNICを見つけた。
「NICの資料を読んだときに、衝撃を受けました(笑)。高校の先輩がNICに行っていたということもあり、進路指導の先生も「ここはいいぞ。」と薦めてくれました。」

家で両親と「アメリカの大学に行った場合の費用」と「イギリスの大学に行った場合の費用」を計算した。そしてNIC受験を決断。「当時はポンドがものすごく高くて、生活費はとことん切り詰めることを心がけました(笑)。」

NICではLI(下から2番目のレベル)からスタートした。
「全国的に見たら自分の英語力が高くないことは知っていましたが、それでもショックでした。これでも高校の時は学年1番だったんで(笑)。私が今までやっていたことは何だったんだろうって。」
しかし、NICの1年間は猛勉強し、年間オールAをとり、イギリス進学時には奨学金ももらった。

もともとやりたいことは明確ではなかったという麻里美さんは、NIC入学後、心理学と英語教授法の勉強に興味をもった。
「小さいときから私は悩みがあると両親や友達よりも先生に相談していたんです。そして、NICで、ある一人の先生の本当に親身な教え方にとても感動して、当時は私も先生になりたいと思ったんです。」

NIC修了後、イギリス・カンタベリーのファンデーションに進学。そこで心理学を専攻することを決め、心理学・社会学・生物学の3科目を選択した。
「先生からは、3科目とも読書量が多いのに大丈夫かと言われましたが、カンタベリーのサマーブリッジプログラムで、全科目を一通りやって、その中から選らべたので、自信はありました。」
実際にサマーブリッジに参加できなかった他国からの留学生は、とった科目が思っていたのと違っていたのか、途中で落とす学生も多かったという。」
ファウンデーションでは、AABの成績をとり無事ローハンプトンに進学した。

「本気の留学」ならNIC?!

麻里美さんは、海外に行く前に自分が何を勉強したいかを明確にするのが大切だという。
「そういう意味で私はNICに入って本当によかったです。直接留学していたら、なぜ留学したのかをわからないまま過ごしていたと思います。NICでは勉強しながら将来のことを考えられるしいろいろな人の考えを知ることができたので。パンフレットの言葉じゃないけれど『本気の留学』ならやっぱりNICがいい(笑)。1年間の語学留学や交換留学とはぜんぜん中身が違うから。」。

人生は、生きる意味を考えるかどうかだと言う。
「何にも考えないで日々のルーティーンをこなしても楽しくないし、苦しいことからも簡単に逃げちゃう。そこに意味を見出せれば、苦しいことも苦しいと思わない。結局「やり甲斐」を感じられるかどうか、そこで人生は変わってくると思います。」

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宮本由紀子さん

「『自分の価値観』を見つける。」

ロンドン中心部にあるエキゾチックな大学

イギリス国立ロンドン大学SOAS校は、School of Oriental and African Studiesという名前の通り、中東やアフリカ、そしてアジアの学生や教授も多い大学である。
「他のイギリスの大学とは全然雰囲気が違います。学生も先生も、アジア、アフリカに興味のある人が多く、趣味や服装も変わった人が結構います。一言で言えば、変な人が多いです(笑)。」

イギリス国立ロンドン大学の図書館は世界的にも有名で、アジアアフリカ関連の、他ではまず見つけることのできないような専門書がたくさんある。
「アジア、アフリカ、そして開発学関連のたくさんのイベントがあり、著名な学者が講演しにきたりもするので、興味のあるものにはなるべく参加するようにしています。廊下を歩いていると、どこかからエキゾチックな音楽が聞こえてきたり、いろいろひとが様々な言語で話していたり、とてもおもしろくて、エキゾチックなもの・場所・人が大好きな私にとってSOASはまさに最高の環境です。」

そう語るあかねさんは、開発学の勉強の一環として、一昨年の夏に1ヶ月間タイで、そして昨年の夏に2ヶ月間、ケニアでNGO関連のボランティアに参加した。

「タイではチェンマイのさらに奥地に入ったウィエンパパオ郡というところで、学校が遠くて通えない山岳民族の子供達のために、麓の町に寮を建て、そこで集団生活をしながら学校に通う教育支援をするNGOがあるのですが、そこで運営手伝いのボランティアをしていました。ボランティアの合間に、近隣の他のNGO、特に人身売買防止やHIV/AIDSの問題に関わる活動をしている団体を訪れたりもしました。ケニアでは、前半はナイロビのNGO本部で事務仕事をし、後半はそのNGO運営の貧困対策プロジェクトで、キスム地方のキマという水も電気も整備されていない村に赴き、自炊のための畑を耕したり、村の伝統的な料理釜をつくってそれを売るというビジネスをつくる自立支援のサポートも行いました。ケニア、タイどちらの活動でも、活動自体から学ぶことはもとより、たくさんのすてきな出会いに恵まれたことが、とてもいい財産になりました。」

物欲がなくなった。

もともと開発学に興味をもったきっかけが、高校時代、新聞記事でタイの児童買春に関する記事を読んだことだったいうあかねさんは、最終的にはは、児童買春や人身売買の問題に携わる仕事につきたいという。
「なかなか長い道のりになりそうですが、最終的にそこにたどり着けるよう、しっかり歩んで行きたいです。」

発展途上国での生活を経験して、以前ほど「物欲」がなくなったというあかねさん。
「うまく表現することはできませんが、ケニアやタイにいってから、きれいな服やバッグ、おしゃれなレストランやバー、最先端の電子機器などが、どうでもよいと思えるようになったんです。もっとあたたかくて幸せで、エネルギーに満ちあふれた大切なもの感じることができました。なぜだかわからないけれど、人間として日々生きている幸せを強く感じられるんです。」

日本の外に出て、客観的に日本を見て気づいたことも多い。
「日本という国は、世界のなかでもとても特殊な国だと思います。特殊というのは、文化、歴史、経済などのあらゆる面において。日本は世界第2の経済大国で、あらゆる世界規模の会議への出席権を持っていますが、実際あまり国際的な感じはしません。島国ということもあって、孤立感が漂います。そのなかで他に例を見ないまさに奇跡的な発展をとげ(開発学の授業でも、日本はよく奇跡的な発展の例として挙げられます)、独特の文化を築き上げました。発展の途中は上昇する勢いがあり良かったのでしょうが、発展しきってしまった今、日本社会にある種の閉塞感が存在することは、認めざるを得ない事実です。」

なんらかの目標がないと、行き詰まってしまうのが、人間である。
「だからこそ、世間一般の人が描く幸せを追いかけるより、自分自身が幸せを見いだせるものを探したほうがいいのではないでしょうか。」

ぶれない強い芯をつくる

その閉塞感をなんとか乗り越えようと、もがいている若者へのメッセージとして、あかねさんは次のように話してくれた。
「世間が決めた価値観よりも、自分の価値観で生きてください。自分の価値観で、やりたいこと、行きたいところを見つけてください。特殊な社会から一度出てみて、他の社会で暮らすことも、新しい価値観を手に入れる、ひとつの手段だと思います。もっと広い視野で、世界、日本そして自分自身を見てみてください。私もまだ発展途中の人間なので、偉そうなことは言えませんが。。(笑)」

自分の芯の強さは、誰にも負けない自信があるというあかねさん。
「自分の芯が定まると、目標も定まります。そうすると、自分に必要なこと、必要でないことなど、いろいろなことがぶれずにはっきりします。今の時代、ちょっとやそっとのことではぶれない強い芯があると、だいぶ生きやすくなるのではないでしょうか。そういう、なにか自分の核となるものを見つけてください。」

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イギリスチェスターにて
ケニア・キマで料理
ケニア・キマ農作業中
タイ・他NGOの見学の際に、創始者のかたと
ケニア・キマ プロジェクト終了時
ナイロビの友達と
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SOASの学期末パーティーにて
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近藤ゆきさん

「大切なのは『本当の心』。」

日本からも取材に来た、知られざる「名門大学」

近藤さんは、現在マンチェスターから電車で30分のところにあるイギリス国立ハダースフィールド大学で演劇と音楽(作曲)の勉強をしている。
「この大学では、演技と理論、そしてWorkshop Leading という、演劇をプロデュースすることを学んでいます。最終的には舞台演出の仕事をしたいのですが、若いうちは、演技の仕事もやっていこうと考えています。」

イギリス国立ハダースフィールド大学の芸術学部は、近年特に評価がうなぎのぼりだという。「特にContemporary Musicの作曲科が有名で、日本からもNHKが取材に来たこともあります。」

そういう近藤さんは、実は高校時代は獣医を目指していたという。
「高校1年生までは岐阜大学の獣医科を目指していたのですが、高2の時に演劇部に入ったことがきっかけで、本格的に演技の勉強をしたいと思ったんです。」

高校時代は声優の仕事もしていた。ナレーションやコマーシャル、ラジオの仕事も経験した。
「小さいときからピアノをやっていて、演劇と音楽の両方をやれる大学を探していたんです。」
希望の大学が見つからず、いろいろ迷っていたときに、偶然NICを知った。

「NICにRADA(王立演劇大学)と提携したプログラムがあることを知って。。。海外なら演劇と音楽の両方を勉強できると思ってNICを受験することに決めました。」

ゴールを明確にすればやれる。

NICでは、2学期と3学期にオールAをとった。「人生で一番勉強した時期でした(笑)。1年間でやれることを全部やろうと思いました。奨学金も欲しかったし、なによりもゴールが明確だったから。。。本当に頑張った1年でした。」

NIC修了後に進んだケンブリッジでのドラマファンデーションでも、ハダースフィールドに来てからもあのときほど頑張っていると言えるかは疑問だという。NICにいた時のように3日間連続で徹夜することもない。

「なんか、今は70%の力でやっている感じですかねえ。100%やると落ち込む時期も出てくるので、気持ちの上下も激しくなるから。。。」

しかし、ゆきさん自身、70%の努力ではいざというときに100%の力を発揮できないことは知っている。
「当時は努力しているつもりはなくても、過去を振り返ると、あの時頑張ったから今があると思えるんですよね。」
ケンブリッジにいた時も、演技の発音を良くしたくて、毎晩新聞の朗読をした。また、ABRSM(王立音楽大学協会)認定のピアノ試験 で最高レベル「Grade 8」にも合格し、今では、ピアノの個人レッスンの、先生のアルバイトまでやるようになった。演技に役立つのではないかと思って始めたカンフーも、来月には黒帯への昇段試験を受ける。

「舞台の発表の時にも、先生からピアノの演奏を頼まれたり、大学のオーケストラでは指揮者もやることができました。ゴールを明確にすれば、100%、120%の努力は自然とできるんですよね。」

消えなかったコンプレックス

多くの人が想像するとおり、英語で演技を勉強するというのは、英語を母国語としていない人にはとても大変なことである。また、シェイクスピアには、アジア人は登場しない。

「ハダースフィールドに来てから、ずっと英語にはコンプレックスを感じていました。」
そのコンプレックスがなくなってきたのも、イギリスに来て3年経ってからだという。

「演劇文化理論の授業の時に、皆でアフリカ人が演じるシェイクスピアのビデオを見たのですが、その時に、日本人にしかできないものがあると思ったんです。そこからアジア人であることを生かそうと思いました。」
そして、わざとアジア人のようなアクセントをつけて話したりすることもするようにしたり、授業中も堂々とディスカッションで発言できるようになった。

最後にイギリス留学に興味をもつ読者へのメッセージをお願いすると。。。。。
「留学したい、NICに来たいと思ったのであれば、いいところまで来ているということだと思います(笑)。それは、自分が本当にやりたいことだとか、真剣にやりたいことを考え始めたということだと思います。皆さんにとって一番怖いことは「自分の本当の気持ちに向き合うこと」なのではないでしょうか。私は、NICの入試の面接で自分の気持ちを話した瞬間泣き出してしまいました。心から話す、というのは、真剣に努力するとか、心から楽しむということにもつながると思います。「面倒くさいことを考えることをやめない」それが一番大事だと思います。」

演劇やコンサートでつかわれるホール内で写真撮影をするために、警備員に使用許可を求めた。もちろんすべて英語で交渉したゆきさんの英語は、ヨークシャーなまりのネイティブそのものだった。

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